ユーラシアパンクめぐり#14 プノンペン
カンボジア編
無事にイミグレーションを通過してきた乗客を乗せ、バスはガタゴトと、赤茶けた土がむき出しの田舎道を走り出した。
国境付近の飲食店や車の修理屋などが寄り集まる区画を抜けると、道の両側にはあまりに牧歌的な風景が広がる。
快晴の下、見渡す限り平坦な大地に生い茂る草木。地平線上にうっすらと森が見渡せる。時おり民家が点在し、日に焼けた肌の住民たちが何やら家の仕事をしているのが見える。
僕はイヤホンを耳に突っ込み、Dead Kennedysの”Holiday In Cambodia”を大音量で流した。何かが迫りくるような、エコーたっぷりのイントロ。おどろおどろしいベースライン。
ビアフラの引きつった歌唱。“It’s tough, kid, but it’s life.”
そうだ、今眺めている景色のどこかにまだ地雷が埋まっているのだ。
カンボジアの首都、プノンペンの中心部にはフランス統治時代の建物が整然と立ち並んでいる。道路もゆったりと広く、宗主国は区画整備に力を入れていたことがわかる。
しかしながら、すすけた外壁、束になった電線やベランダの洗濯物、そして上半身裸で酒を飲む人たちによって一気にヨーロッパの鼻につく格調美を打ち崩してくれる。
http://www.hobotraveler.com/154phnompenhhotel_01.shtml
宿も決まり、観光客でにぎわうセントラルマーケットを冷やかしていると、ふいに流暢な英語で話しかけられた。
それは恰幅のいい、神取忍似のおばちゃんだった。
「日本人でしょ? わたし国境警備員なんだけど昨日あなたがベトナムから来るの見たよ! そうそう、地震大丈夫だった? 私は日本にボランティアに行ったことがあって……」
実に怪しい。
しかし、話し相手ができて、僕はすっかりうれしくなっていた。
入国したてでこの国のことを良く知らないので、色々とたずねてみたかったのだ。
「プノンペンって生演奏でロックが聴ける店なんてあるの?」
するとオバちゃん、よくわからないと言いながら、おもむろにケータイを取り出し音楽をかけた。GNRのNovember Rain。ロックという言葉に反応してくれたのか。
僕は彼女をお人よしの国境警備員としてすっかり信用しそうになっていた。
次のセリフを聞くまでは。
「日本でお世話になった人から手紙が来たけど、日本語読めないの。 私の家で昼食を食べながら訳してくれない?」
出たな、常套句!
いつもの僕ならば、そそくさと尻尾を巻いて逃げたことだろう。しかし、この時ばかりはなぜか向こう見ずな好奇心が僕をつつみ、どんな手口で僕を陥れようとするのか、ギリギリのところまで見てみたいと思ったのである。
さらにいうと、彼女を信じたい気持ちもまだわずかばかり残っていた。
「わかったよ、行こう」
バイタクを停め、まさかの三人乗りで家まで。
道を覚えようとしたけれど、バイクはところどころくねくね曲がった挙句、特徴のない住宅街に入ってしまい、わかるはずもなかった。
いざとなればでたらめに逃げればいいだろう。
二階建ての瀟洒な家に着くと、オバちゃんの旦那とその姉と名乗る人物が昼食を用意して待っていた。
トレンサップ湖で採れた魚をこんがりと焼いて香草などを添えたメインディッシュ。
食欲を刺激するいい匂い。
コーラは未開封のものが渡され、みんなが一つの大皿に箸をつけ始めたので、睡眠薬などは入ってないだろうと安心してがっつく。
素朴だが、魚好きの僕にはたまらない味。
食事中も他愛のない世間話に笑い声はたえることがない。
ああ、こんな善良な市民を疑ったりして、僕は本当に反省する。
食後、旦那さんがトランプで遊ぼうと言い出した。その態度はどことなく尊大で、有無を言わさぬ感じがあった。
「俺は船でカジノのディーラーやってんだ。ほら、額縁に飾ってあるのが私が働いている船の写真だ。君はもう友達だから、船にも安く乗せてあげるよ」「その時のためにイカサマを教えてあげよう」
やっぱりそうだよな……。この悪い流れを絶とうと「日本人の手紙は?」と聞くが、入院してる母が持ってるから、と一言で流されてしまう。
彼らは僕にこれ以上冷静に考える時間を与えないために行動を急ぎ、もうトランプを配りはじめた。こうなれば、どんな手口でくるのかじっくりと見届けてやろう。
そう決めたものの身体の方は正直で、腋の下を嫌な汗が流れるのだった。果たしてうまく抜け出せるのか?
旦那はメガネの奥の眼をギラつかせながら、カブというトランプゲームを丁寧に教えてくれた。基本ルールの後に、いよいよイカサマである。
ディーラーである旦那が耳や鼻を触るのに合わせて、賭け方を変えればいいというとても簡単な方法だった。「これで今度からイカサマできる! ありがとう!」などといって逃げ出そうと思った。けれど次から次へと言葉を浴びせかけてくる旦那やオバちゃんのせいで、言い出すタイミングがない。
「なあカオル、これから、ブルネイ出身で大金持ちの友達が遊びに来るんだ。そして彼女はカブに目がない。実はな、俺は彼女のことがあまり好きじゃない。どうだ、俺とお前で大金を巻き上げてやろうぜ。元金は俺が百ドル貸してやろう」
これは本格的にヤバイ。というかもうストーリーが陳腐すぎる。
旦那の話が終わるとすぐに、そのカブ狂いの令嬢がやってきた。なんて丁度いいタイミング。どこかの狂言師の母親に良く似た、四角い顔を真っ白に塗った彼女は、さっそく席につくと、挨拶もそこそこにゲームをしようといい出した。
カードを配る旦那。僕に目配せ。
「ウフフ、きっとわたくしの勝ちね」「あらーまた負けてしまいましたわ」
など、余りに稚拙な演技が続く。
僕はビビりながらも笑いをこらえるという、今まで経験したことのない苦行に喘いだ。
そうこうしている間にも、僕は実質200$くらい勝った。
さて、これ以上続けると、今度は僕がボロ負けして金を巻き上げられるというパターンだ。
もう手口を探るとか、逃げるタイミングとか考えている場合じゃない。
僕はおもむろに席を立った。「疲れたから帰って寝る」の一点張りで玄関まで行こうとする。しかし、旦那が行く手をさえぎり、僕の腕をギュッとつかんだ。
「心配ない。ただのゲームじゃないか」
と口では笑いながらもその目は邪悪に満ち、見る者の背筋を一瞬で凍らせるほど。
なんとか僕は平静を装い、腕を大きく一振りすると落ち着いた足取りでリビングを後にした。
(これは、麗江の山道で野犬に囲まれそうになった時と同じ手法である。激した生き物を前に怯えている素振りをすれば、たちまち攻撃してくるものである。)
意外にもすんなり帰してくれるのか。と思いきや、もう一歩で外というところで神取忍登場! その表情は見る影も無いほど無愛想で、このままだと確実にタイガードライバーの餌食になりそうである。
「帰るならバイクで送るわ」
つまり僕が走っても追いつかれる。
それに方向もわからないので乗ることにした。おばちゃんはやたらとホテルの場所を聞いてきたが、僕はバスターミナル周辺で降ろせ、とごまかし続ける。
たどり着くと、もうこいつにかまってても金にならんと踏んだのか、「飯代とガソリン代で10ドルよこせ」と戦法を変えてきた。
人通りの多い道に出たことで、僕の反骨心は一気に燃え上がった。
「そういえば手紙は?」
「おばーさんが持ってるんだよね?」
「何病院? 何号室? 電話して確認してみるわ」
と口早にまくしたてた。こんなにスラスラと英語が出てくるとは思いもしなかった。
少しひるんだおばちゃんに対し、僕はそのとき持っていた全財産5ドルを渡してにらみつけた。彼女は悪びれもせず、最後にこういった。
「じゃあ今晩は日本料理屋へ行こう。お金は私が払うから」
どう考えればこれ以上さらに僕をだませると思うのだろうか。
なめられすぎじゃないか。日本人。
無視して歩くと、背中に「ここで待ってるからな!」というがなり声を浴びた。
宿に帰った途端、張り詰めていた力が抜け僕はベッドに崩れ落ちた。もし相手がピストルなどを持っていたら、もしバイクでどこかの廃墟に連れて行かれたりしたら、などと考えると全身がガクガクと震える。
もう無謀なことはやるまい。クリーム色の壁を這いまわるヤモリを見ながら、僕は生きていることをありがたく思った。