Live in Malaysia 2019 ③
Flat Sucks
マレーシアライブ 2019 春
ツアーレポート③
4月28・29日「ゆうひコア・パンク」
正午ごろマラッカを出発し、エノル(Alchemy of Sickness)&ノビ(XCRIMESCENEX)兄弟を筆頭に、2014年・2017年の二度のFlat Sucksマレーツアーでできた友人たちと旧交を深めた。
左から:かおり、エノル、チョイ、ノビ、かおる
おれにはこんなにともだちがいたのか……。
チョイのレコードショップ、Tandang Records
みんなでかっらい飯を食い、Tandangというレコード屋へ行き、(壁面に2018年のFlat Sucksクアラルンプールライブのフライヤーがまだ貼ってある!)店長であるナイスガイ、チョイの家に泊まることになった。男どもが暮らすシェアハウスで、ワイルドな匂いやワイルドなマットで寝る。そのうえ、冷房なき窓全開マレーの夜。風など吹かない熱帯夜。虫さんおいで。私はここに。
かつて世界の底辺宿を這いずりまわった私は全然気にならない。むしろキルギス、チョルポン・アタでの-10℃暖房器具ナシお湯ナシ毛布のみアリ宿(日本の秋くらいの服装で行った)を経験した私にとっては、暑さや虫に文句を言うなんてバチがあたる。蚊は絶滅しろ。
そしてかおりはシティガールにも野生児にもなれるので心配ない。だろう。
チョイとノイズについて熱く語り合い、夜は更けた。
さて、次はどこへ行く?
わかっている。海だ。とにかく海を見なければならない。
クアラルンプールから近くて、港ではない海を探した。地図を見てかたっぱしから海沿いの街の名前をGoogleにぶちこむ。もはや日本語ではヒットしない。ならば。どうだ。見つけた。Sekinchan。セキンチャン。ビーチの写真をネットで見る。うん、いいじゃん。
テクノロジーに感謝した私たちはチョイの家を朝早くに出て、100円くらいのチャパティ&チャイを朝食とし、北方面行きバスターミナルに向かった。どうせ一泊してまたクアラルンプールにもどるので大きな荷物はチョイの家に置かせてもらった。
拷問のように揺れるオンボロバスに揺られること3時間あまり。
私とかおりは刺すような日差しの下、ただのガソリンスタンドらしきところにほうり出された。あんまり空が広いので、うわーーーーーとか言っていたと思う。一緒に降りたのは一人の女性のみ。ここ、セキンチャン? これ、バス停?
都会とちがって太陽を遮るものが少ない。一瞬にして汗まみれになる。
事前に調べておいた宿にたどり着くと、そこは床屋だった。
要領を得ず、店員っぽいおてんばガールに話しかけた。中華系だ。英語などほぼ通じない。なんとか判別したのは、1階が床屋で2階以降がホテルになっていること、受付はここでいいよ、ということ。途中、英語ができる人に電話をかけ通訳してもらうなどして、ようやくチェックインすることができた。やれやれ。あとは海、お前だけだ。大丈夫か、かおり? よし、いけるな。
スーパーで飲み物などを買って歩き出した。早々に市街地を抜ける。潮のにおい。
海へ向かう道はむき出しの生であふれていた。伸び放題の熱帯雨林、荒れ狂う鳥ども、のそのそ歩く野良牛(かおり「やーーこわい」)、海へと続く黄土色に濁った川、川に停めてある何艘もの漁船、川にせり出す木造ヨボヨボ建築。そこで筋骨たくましいマレー系漁師たちが今日の収穫を数えている。「ああ、暮らしてやがるぜ」とニヤつく私の頬。
海への道
さあ、ビーチだ。
マラッカとはうって変わり、観光客などはほとんどいない。地元の若者たちがバイクで乗り付けてきたり、親子が散歩しに来たりするだけである。まあ確かに、海の色はどちらかというと泥っぽく、泳ぐには向いてない。
だけど、太陽と空、波と砂がある。それだけで肉体から精神から極みがほとばしり、花ひらいていくのだった。
ひととおり辺りを散歩したり、波に足をつっこんでみたり、魚を探したりしたあと、私はおもむろに尻を出してうつぶせ、強烈な日差しを浴びて存分に日焼けを楽しんだ。よし、全部やることはやった、帰ろうかなと思っていた矢先。そうだ。主役はいつもおくれて来るのだった。
夕焼け、そして干潟。
潮が引いて生まれたての新大陸が現れた。母親の羊水でぬらぬら光っている胎児のような砂と泥の集合体。それが夕日を反射するもんだから、目に入るすべてが朱そのものになる。私とかおりは言葉もなかった。いや、あった。
「……わたし一人だったら絶対こんなとこ来ようとも思わんかったわ」
「おれも……、おれは来たかも」
「やろうな」
「……やればできんじゃん、セキンチャン」
「でた」
朱色の中で中華系とマレー系が一緒になって遊んでいる。マレーシアという国のふところの深さを思い知った。
私の目じりに浮かんだ涙も赤かったか?