ユーラシアパンクめぐり#26 再々バンコク、そしてネパールへ……
ついにこの時が来た。
東南アジア脱出。
中国を抜けてからというもの、張り詰めていた気はどんどんと緩み、生暖かい気候と人々の優しさの中あっちでグータラ、こっちでチンタラ毎日を過ごしてきた。
でもそのおかげで、日本では決して見ることのできない景色を見たり、決して出会うことのない人々と夜を徹して語り合ったりと、旅の醍醐味というものをたっぷり感じることができた。
そして何よりも、日々を生き抜く庶民の力強さ。
きっと日本に帰ったら、普通の暮らしを送る人々に対して、今まで気づけなかった新しい尊敬の念を感じることだろう。
ラオスから戻り、三度目のバンコクでは再びカオサンに宿を取った。それも日本人に有名な宿、NAT2。
東南アジアを離れるならば、最後くらい言語の壁に悩まされずバカ騒ぎしたい、という目論見である。
休学してとりあえず来た学生、長めの休暇を取って来たサラリーマン、インド帰りのヒッピー、任期を終え各地を周遊している青年海外協力隊員、そして外こもりなどなど、多種多様なワケを持つ日本人と出会った。
旅の初心者も、熟練者も、みんなを魅了するタイランドのような国は他にはない。
総勢20名ほどの団体となった僕らは、店を貸しきって宴会を繰り返した。
まあまあまあ、どもどもども、の酒注ぎ合戦が懐かしい。
酔っ払ったフリをして、僕は看護師のサオリさんにチューをした。唇を噛まれた。でも怒ってない。ああ、ネパールなんて行きたくないな……。
出発日の午前中、僕は不良旅人たちのすすめもあって、カオサンの怪しげな店で偽の学生証を作った。その場で写真を撮って、それっぽいカードにラミネート加工するだけの粗悪品である。
大学名は、OSAKA UNIVERSITYにしてもらった。
もちろん身分証明書としては使えないが、物価の高いヨーロッパで美術館や博物館に入る際には割引を受けられるかもしれない。
たとえ使えなくても、それ自体がいい記念品だ。
夕方、ヒッピーのケンさんがフルートで別れの曲を演奏する中、僕はみんなに見送られながら乗り合いバンに乗った。
ケンさん(カオサンロードにて)
しかし、その中にサオリさんはいない。
連絡先を聞いておけばよかったなあ……。
僕の後悔もむなしく、バンはスワンナプーム国際空港へとひた走った。
(スワンナプーム国際空港)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Suvarnabhumi_Airport_Departures_Hall_Bangkok_Thailand.jpg
身体検査や出国審査を済ませ、インディゴエアラインという聞いたこともない航空会社の飛行機に乗り込んだ。
デリー経由、カトマンズ行き。飛行機の中は浅黒くホリの深い人々でいっぱいだった。
真夜中にデリーに着き、トランジット用の待合室で時間をつぶす。
丁度良い機会だから、荷物の整理がてら、現金やカード類をバックパックのあちこちに分散させた。
ちなみに今までの僕の防衛方法はというと、紙幣、小銭、カード、パスポート全てを裸のままズボンの右ポケットに入れ、その上から手をつっこんで歩くという、通称「鉄の右手」戦法である。
強盗が多い国では貴重品が一気に一網打尽になるおそれがあるのでオススメはできない。
そう、ここはインド。もう微笑みの国ではない。インド人には気をつけろと今まで何度聞かされたことか。たとえ空港の中でも油断は禁物だ。
そんな警戒心むき出しの僕に話しかけて来たのは、紺色の上品なスーツに身を包んだインド人ビジネスマン。荷物を抱える手に自然と力が入る。
どこから来たの、どこまで行くの、というお決まりの質問の後、彼は上着の内ポケットから名刺を取り出した。そこには「サイエンスフィクション・ライター」と書かれてあった。
「SF作家? 本当ですか?」
「ああ。これからちょっと取材に行くんだ」
彼の名前をネットで調べてみると、ありましたありました、しかも著作がamazonで販売中!(残念ながらその名刺失くしちゃった★)
「お腹空いてない? マクドナルドでも行こうか」
「行きましょう!」
僕はコロッと態度を変え、彼につき従った。ああ情けなや、事大主義。
「あ、僕インドルピー持ってないです」
「気にするな。俺のおごりだ」
こうして僕はまた人の親切に触れた。
どこの国でも変わらないはずのハッシュドポテトの味がいやにおいしく感じた。
カトマンズ行きの飛行機に乗り込んだ瞬間、鼻にツンとくるスパイス臭。
客席を見渡せば、先ほどのバンコクからのフライトよりも庶民が多い印象である。僕の座席の隣に座るオヤジがこれまた香ばしい。
乗客全員が乗り込むと、厚化粧でスタイルの良いCAたちが上部の荷物棚を点検し始めた。
と同時に、客席めがけて消臭スプレーを噴射! 一歩歩いてまた噴射!
乗客たちはニヤニヤ笑っているばかり。
これが普通の光景なのか。僕は家畜になったような気分で爽やかな霧吹きを浴びた。
機長のアナウンスの後、飛行機は滑走を始めた。離陸まであと少し。
すると、隣席のオヤジ、手に数珠を取り出して必死に祈りだした。周りを見ると他のネパリーたちも一心に祈っている。
堕ちませんように、ってか。縁起でもない。
そのかいあってか、飛行機は無事に離陸した。
消臭スプレーの効き目もすぐに終わり、むせかえるヒマラヤ上空。さらに機内食のカレーが僕の鼻にとどめを刺す。
ものの二時間足らずで高度が下がり始めた。
窓から茶色っぽい民家が密集しているのが見える。高層ビルは全くない。
そして再びお祈りが始まり、数分後、ガツンという衝撃とともに飛行機は滑走路に着陸した。
すると、溢れんばかりの拍手、歓声!
サリーを着たおばちゃんも、労働者ふうの青年も、みんな顔を輝かせて無事に着陸できたことを喜んでいる。たまらず僕も手を叩く。隣のオヤジと目が合う。
やったな、僕たち生きてるぞ! またカレー食えるぞ!