大晦日のアザーン

 

「なんだ、あんたが欲しかったのはこれか?」

 

いたずらっぽく笑う浅黒い顔。どこからどこまでが口髭なのか判別できない。目元の肌ツヤからしておそらくまだ二十歳そこそこだろう。若者が差し出した手にはウイスキーの小瓶が握られていた。

 

「……そう。それが欲しかった」

「オーケー、ではあとでゆっくりいただくことにして、まずはチャイでも飲もう」

若者はバイクにまたがりエンジンをふかした。夜霧に重低音が響く。

「ほら、乗って」

そういって後部を指す。

安堵感と、もうどうなってもいいかという気持ちから、私はおとなしく革張りのシートにまたがった。ヘルメットなどない。

時刻はすでに午前1時過ぎ。私たちはさびれたバスターミナルを離れ、ラホールの中心地へと向かった。

 

 それがあの年の大晦日だった。

 

「そういえば、外国で年を越したことないな」という軽い気持ちからすべてがはじまったのだ。その当時私は、次々と新しい国に行っては使い古しの世界地図に色を塗りたくり自分の領土を拡張していた。その時点で約40カ国が我が連邦の傘下だった。どんどん広げよう。一度行った国に興味はない。しからばいよいよ大ベンガル帝国を手中に、と私はわざわざ東京都港区のパキスタン大使館まで出かけてビザを手にしたのである。インドのビザは空港で取得可能。バングラデシュはまた今度。あとはパスポートとカード類、円・ドル紙幣を少々、着替えを準備したらもう出発だ。

 

 関西空港からインドの首都、デリーへ。カレーと牛と神様と下痢また下痢。しつこい客引き、バングラッシー。はやくこの国を出なければ。バスを乗り継ぎ北へ北へ、アムリトサルでデリーの汚れを落とし、無事国境を通過してなんとか私はパキスタンに落ち延びた。

拠点としたのはパキスタン第2の都市、ラホール。ヒゲ面の男たちが闊歩する、活気に満ちた砂色の街だ。物騒なイメージが先行するこの国では都会でもまだ旅行者は少ないらしく、特に東洋人は希少動物であり、見世物小屋の気分を存分に味わうことができる。通りを歩いていると必ず誰かに話しかけられる。「どこから来た?」「なにしに来た?」「アッラーを信じるか?」「カラテ教えてくれ」「インドとパキスタンどっちが好きだ?」「結婚はまだか? なぜだ?」「アッラーを信じるのか?」「おれたちはテロリストじゃないぞ」「カラテ!」

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 たいていは好奇心丸出しなだけの親切な人だ。たとえば、道端のチャイスタンドで一杯飲んでいると誰かが話しかけてきて気づけば代金(1、2ルピー)を払ってくれている。店や交通機関などで英語が通じないときはみんなで英語ができる人を探してくれる。見つからなければ誰かが知り合いに電話をかけてその携帯をこちらに渡してくる。「イングリッシュ! イングリッシュ!」電話に出てみると流暢な英語を話す人物だ。こうして無事私は目的を果たすことができるのである。

 

窮地に陥った私を救ってくれた彼も達者な英語を話した。

名前はアリ。20代だと思っていたが実際は19歳だという。それにしては見事なヒゲ、堂々たる態度である。言葉に自信がみなぎっていた。

 

「あんなところでうろうろしているヤツに近づいたらダメだ。外国人はすべて金持ちだと思っているから下手すると身ぐるみはがされるぞ」

「うん。助けてくれてありがとう」

 

あのまま売人と口論を続けていたらどうなっていたことか。粗末な屋台の熱いチャイが身に染みた。

 

インドから入国してラホール1泊、翌日ムレーという景勝地に泊まり再びラホールに戻ったところだった。渋滞や未舗装道路の影響で深夜に着いてしまった。これからまだ宿を探さなければならない。腹が減った。そしてここ何日か酒を飲んでいない。インドではまだしも、パキスタンに入ったとたん酒のある気配がまったくしない。

私の経験上、そういった違法またはグレーなブツはタクシー運転手に話を聞くのが一番早い。夜のバスターミナルにたむろする彼らの顔つきから、この中の誰かがきっとなんとかしてくれるだろうと信じ、軽い気持ちで白髪のオヤジに声をかけた。するとそのオヤジが「ついて来い」というような仕草で裏路地に入っていく。後を追う。

ほらよ、と差し出されたそれは、塩? 砂糖? 白い粉。「ちがうちがう!」と身振りで伝えたのだが、オヤジは少しムッとしたようすでその粉をもう一包み出してきた。「20,000ルピー!」

わざと英語がわからないフリをしているのかもしれない。いやきっとそうだ。「アルコール」という英語がわからないはずはないだろう。はめられたか。

 

刺激しないよう落ち着いた声を出そうと努めるが、それに反してだんだん苛立ちを募らせるオヤジ。街灯も届かない路地。冷汗がこめかみを通る。そこへバイクをうならせやって来たのがアリだった。彼は私と売人オヤジの間に前輪をねじ込むようにして停車し、まず私に声をかけた。「大丈夫? 何かのトラブルか?」一瞬、もしかしたらこの人もグルなのか、あるいは覆面警察かと疑ってしまい私は答えに窮した。売人と話しはじめるアリ。一段落してこちらを向く。

 

「あんた、ほんとにコレがほしいのか?」

「いや……、それはいらない」

「でもこのオヤジはあんたがこれを欲しがっているから出してやった、と言っている」

「ちがうんだ。その人が出したものとおれが欲しいものはちがう」

「わかった。じゃあ断るからな」

アリの明瞭な言葉に売人も納得したようすで去っていった。放心状態の私にアリが放ったのが冒頭の言葉。

 

 

 

 チャイを飲み終えると、今度は私の宿を探してくれることになった。どこまでも親切な若者だ。

 

「なんでそんなに優しいの?」

「旅人には親切にするのが我々イスラム教徒だ」

 

 パキスタンでは、外国人は政府に認められた宿にのみ泊まることができる。高級ホテルを避けると選択肢はぐんと狭まってしまう。年末ということもあって政府公認の安宿も満室だった。次々宿泊拒否に遭いながらラホール中の安宿を周るふたり。6、7軒をまわったころ、アリが言った。

「どこもダメだな。ちょっと狭いけどおれの家に行こう。妹の部屋が空いている」

「妹? いや、いいの?」

「ちょうど今夜は友達のところにいるから大丈夫」

「いや、おれ男だけど……」

「?」

「……ありがとう、行こう」

 

パキスタンに入ってから、空港の職員などを除けば数えるほどしか女性を見ていない。神秘のヴェールに包まれた存在。その神秘が眠るベッドに私は寝るのか? アッラー怒らない?

 

 3階建て、レンガ造りの見事な家だった。アリはここで両親と妹と住んでいるらしい。リビングにはさまざまな賞状や記念写真などが飾られていた。彼は現在大学に通っているというから、なかなか良い家庭環境なのだろう。荷物を置き、屋上でアリとふたりウイスキーをあおっていると、街中に大音量が響いた。

 

夜明けのアザーンである。特徴的な音階に耳を傾けつつ、神について、国について、生活について、話は尽きることがなかった。

 

闇が薄れかけたころ、私はいいにおいのするベッドで深い眠りに落ちた。妹よ。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

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