ユーラシアパンクめぐり#31 イスタンブール1

 

 イスタンブールのアジア側に位置するサビハ・ギョクチェン空港に着いたのは、人々の疲れがにじみ出ている夜明け前だった。

 

 

ネパールと比べると、なんと近代的な空港だろう。

天井は高く、ピカピカに磨かれた床に照明の光が反射している。

http://www.istanbulsupershuttle.com/sabiha.php

 

ややこしくも魅力的な中東や中央アジアを断腸の思いですっとばし、僕はヨーロッパの入り口、イスタンブールに来たのだ。

 

僕、シュン、ケンの三人は朝が来るまで空港内にとどまることにした。

ベンチの一角を陣取って、それぞれの荷物を降ろす。

深夜営業のカフェでコーヒーを頼むと7トルコリラだった。

約350円。空港内の値段とはいえ、ここはもうトルコだ。

今までのような財布に優しい国とはまるで違うのだ。

僕は気持ちを切り替えようと心に誓った。

UAEから同じ飛行機だった、ニュージーランド人女性のエイミー、イタリア人カップルのステファノとラウラも僕らのベンチに集まり、みんながそれぞれの冒険譚をかわるがわる披露しはじめた。

 

 エイミーは完全菜食主義を貫く自然愛好家だ。

 肉や魚はもちろんのこと、卵や乳製品も口にしない。

 いわゆるビーガンというやつだ。

 日本や中国をはじめ、アジアの国々では動物が使われていない料理を探すのに苦労しきって、ほとんど自炊していたという。カツオだしも煮干もダメだっていうんだから、日本食はほぼ全滅だろう。

 

 そんな彼女はあちこちで風景画を描いて周っている。

 その土地にしかない風景を自分の筆遣いで記録しておきたいのだ。

 これからトルコ中部のカッパドキアで世界遺産の岩窟群を描きに行く。

 

 

僕は「自然に生きること」や「動物の権利」などなど、彼女が語る高尚な話に相槌をうってはいたが、実をいうとタンクトップを着た彼女の両腋からごっそりと顔を出す赤い腋毛に心を奪われていたので、あまり話の内容は覚えていない。

絵描き道具の刷毛か何かを両腋に挟んでいるかのようだ。

 

 ま、まさか、それで描いているのか……?

 

 

ステファノとラウラはイタリアのフィレンツェ出身の若いカップルだ。

2ヵ月ほどもある会社の夏休みを利用して、トルコと東ヨーロッパを巡る。

日本で普通のカイシャインがそんなに長い休暇を取れるようになることは未来永劫、決してないだろう。

 

ステファノは、

「フィレンツェに来たら、俺の家が君の家だ! 待ってるよ」と言って、電話番号を書いた紙を僕にくれた。僕たちは握手を交わした。

何ヶ月か後、本当に会うことができたらなんて素敵なことだろう。

 

もう僕の旅も中盤にさしかかっている。これからはどこかで一度会った人の母国に行き、再会を果たすようなこともあるだろう。そうすれば一人でその土地の表面だけをなぞる旅ごっこより、もっと深い体験ができることだろう。

 

 午前6時すぎ、ボスポラス海峡を渡って市内中心部へ向かうキレイなシャトルバスがやってきた。

朱色の朝焼けの下、みんなは荷物を持って乗り込んでいった。

僕は手を振って彼らを見送った。

シュンが言う。

「あれ、カオルくん乗らないの?」

「あの、僕まだアジアにいたいので、グルジアにでも行くことにしました」

 またいつものクセである。空港内でのありあまる時間で、僕はこれからの進路を変えたのだ。

 

 僕の心中で、飛行機で一気にアジアの最果てまで来てしまったことに、よくわからない罪の意識を感じてしまっていた。

 僕はとてもラクな手段を選んだのだ。

 

リキシャーのクラクションが、

ガンジスの聖なる流れが、

フンザの大自然が、

ぐるぐる回るスーフィーナイトが、

ペルシャ絨毯が、

解読不能なアラビア文字が、

乾いた砂漠の空気が、

時速800キロから1000キロで駆け抜けた大空の下に消えていった。

 

 そしてこれから西へ進めば、金の心配以外はあまりしなくてもよい土地になり、どんどん旅行しやすくなるだろう。

 いいのか? このままヨーロッパに入っても。

 

 いや、よくない!!!!

 

 あまりにも変化が突然すぎて、僕は良いヨーロッパをはじめることができないだろう。

 

 だから僕は、アジアの最後を飾るにふさわしい、全く誰も知らないような国を見なければならない。

 ちょうど日本人がビザなしで入れる国がある。

 

 それがグルジア(ジョージア)。旧ソビエト連邦構成国の一つ。

 そう、ついに僕はロシアの尻尾を捕らえることができるのだ!

 ここから黒海沿いに東へ、コーカサス方面へ。

「じゃあ気をつけて!」最後にケンが手を振った。

「またヨーロッパで会いましょう!」

 

 みんなが行ってしまうと、僕はもう一つのバス停へトボトボと歩き出した。しばらく待って、これまたキレイなバスに乗った。

 イスタンブールのアジア側にある長距離バスターミナル、「ハレム・オトガル」方面行きである。

 僕が運転手に運賃を払っている間に、同時に乗った客はみんな入り口の読み取り機にカードをピッとかざして席についた。それは文明開化の音だった。

 道路の舗装は完璧で、十分に広い。高層マンションや電波塔が立派に林立している。

 いくつかバス停を経るにつれ、車内は混雑してきた。

 すると、よっこいしょと後部のドアから乗り込んだおばあさんが小銭をチャラチャラやりだした。どうやらカードは持っていない様子。

 人は多い、バスは動く、これはとてもじゃないが運転手のところまで歩けるような状況ではないだろ、と思って眺めていると、おばあさんは前に立つ青年に小銭を渡した!

青年はニコリともせず、かといって嫌そうな顔もせずその前のおっさんに渡す!

おばあさんはその結末を確かめようともせず、既に誰かが譲ってくれた席に深々と腰掛けているではないか。

おっさんはまたその前の人へ、と小銭リレーはひょいひょい滞りなく進み、ついに運転手のもとへゴールした。

 

 なんて信頼に満ちたシステムだろう!!!

 

僕は心の中で拍手喝采をしていた。そして確信した。

僕たち都市部の日本人は、みんなコミュニケーション不全だ。

 カドゥキョイという停留所でバスを降り、1キロほど歩いてハレムオトガルに着いた。思ったよりも敷地は広くない。だが、景色がなかなか良い。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%C4%B0stanbul_-_Harem_Otogar%C4%B1,_%C3%9Csk%C3%BCdar_1_-_%C5%9Eubat_2013.JPG

 

 連なるバス会社のブースや休憩所のすぐ後ろに、8月の真っ青な海が広がっていた。

 ここは地中海へとつながるマルマラ海が見渡せる、とても旅立ちに適したバスターミナルなのだった。

 何軒かバス会社を周り、グルジアの首都トビリシ行きの情報を集める。

 すると驚いたことに、英語が全然通じない。

 地名と数字だけで会話してなんとかわかったのは、トビリシ行きはどこの会社もだいたい100リラ前後、所要時間は約24時間ということだった。

 丸一日バスの中というのはいかがなもんだろうか。

電車ならば他の車両へ遊びに行ったりトイレへ行ったりと好きに席を立てるからいいが、座りっぱなしのバスで24時間とは、これは壮絶な戦いになりそうだ。

それに昨日は飛行機内と空港で仮眠しただけで、体中が痛い。

僕は自分の体をいたわるため、トビリシまでの中継地点としてトルコ東部のトラブゾンという街で降りることにした。それでも16時間かかるそうだ。

 無事切符を買い、近くのレストランのテラス席で、サンドイッチとチャイで遅い朝食にした。

 チャイはチャイでも、ネパールで飲んだカルダモンたっぷりで甘さの濃いミルクティーではなく、ミルクなしのしっかり葉の味がする紅茶だった。

 真ん中がくびれた小さなグラスに角砂糖を溶かし、少しずつ少しずつ味わう。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Turkish_tea.jpg

 

 すると、今しがた店から出てきたハンチング帽の似合うおっちゃんと目が合った。

僕が「メルハバ!」 というとおっちゃんは大いによろこんでトルコ語でまくしたててきた。

「チン? ジャポン?」というのだけはわかった。

「ジャポンジャポン!」

 おっちゃんは「日本は最高だ!」みたいなことを言っているようだった。

 そして僕の常套手段、数の数え方を教えてもらうことで、意志の疎通ごっこがうまくいった。

ビル(1)、イキ(2)、ウチュ(3)……。

 カモメが舞う空に大型船の汽笛が鳴り響き、僕の贅沢な時間はゆっくりと過ぎていった。

 

正午過ぎ、ピカピカの車体を見せつけるように荒く停車したバスに、僕たち乗客は乗り込んだ。

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