ユーラシアパンクめぐり#21 チェンマイ

僕は砂埃が舞うチェンマイ・ラムプーンスーパーハイウェイを錆びついた自転車でかっ飛ばしていた。

 

http://www.house-chiangmai.com/superhighway-between-lamphun-and-chiang-mai/

 

宿で借りたこの相棒は、キヨシロウと名づけた。

 

右側通行にはすぐ慣れたものの、横合いを自動車やバイクが猛スピードで駆け抜け、その度に僕は煽られる。

すると、スコールがやってきた。

慈悲もなく、猛烈な驟雨となって地面と僕をぶったたいてくる。

僕はたまらず小さな店の軒下に避難した。看板には呪文のようなタイ語ばかりで、写真はない。中を覗くと、テーブルと椅子が何脚か置いてあった。

オヤジが暇そうにテレビを見ている。なるほど、食堂だな。

そういえば一時間以上漕ぎっぱなしでのども渇いたし腹も減っている。

ここはひとつ庶民料理でも食べて休憩としよう。

店のオヤジは、僕が入るなり立ち上がり、ものめずらしそうな顔で話しかけてきた。

きっと「だんな、こんな雨ん中ごくろうさんでしたなあ」とでもいっているのだろう。背の低い、人の良さが顔にまで表れているオヤジだった。

残念ながら英語はまったく解してくれなかったが、何とか身振り手振りで何か食べたいことを伝える。

オヤジはおおげさにうなずくと、ちょこまかと厨房に入った。

そうかと思えばまた出てきて、雨に濡れた僕のためにタオルを持ってきてくれた。

僕が「コップンカップ」というと照れたようにはにかむオヤジ。

メニューを渡されたが、案の定タイ語ばかりなので読めない。

僕はオヤジと一緒に厨房へ入り、適当に散策し、何か味噌のようなものであえた豚肉料理と白米を指差した。そしてもちろんチャンビール。

オヤジが調理している間に、奥さんらしきおばさんがやってきた。

彼女は主人と違いほんの少しだけ英語を理解した。「チャイナ? コレア?」ノー。ジャパン。

僕の自己紹介的な会話が終わると、おばさんはテレビに集中しはじめた。

 

 僕をはじめとする多くの日本人貧乏旅行者は、より現地の人の生活に入り込みたがる。現地人が集まるレストランに行き、現地人が利用する交通機関に乗り、あわよくば現地のスレてない女性を口説こうとする。

 しかし、物理的にどんなに彼らの領域に踏み込んだとしても、生活の実感がない僕たちはどうあがいてもストレンジャーなのだ。最低限言葉を覚え、現地で生きる術を見つけ、ある程度の期間暮らさない限り、本質的には、高いホテルに泊まって集団で移動し金をバラまくツアー客となんら変わらないのである。

 僕はただ人々の生活を冷やかして歩くだけ。

 

出てきた料理は涙が止まらないくらいく、ビールをもう一本追加しなければならなかった。オヤジ夫妻は、燃えるような辛さにもだえる僕を見て楽しそうに笑っていた。

気合で完食したら、すっかり雨は上がっていた。

日が沈むころに会場についた。吹きさらしの広場にアンプやドラムセットが置いてある。周りにはだだっ広い空き地が広がる。

 開演時間が近づき、着々とパンクスたちが集まってきていた。

 蹴られたらさぞかし痛そうなロングブーツ、鋲のたくさんついた革ジャン、有名パンクバンドのロゴ、そして金髪のモヒカン、赤い長髪。見た目は恐そうでも仲間同士でキャッキャとはしゃいでいる。これだよ、これ。

 出発して一ヶ月と少ししか経っていないのに、心斎橋のアメリカ村の景色がとても懐かしく思えてくる。

 みんな攻撃的な服装をしていても、タイの、それも地方のおっとりした雰囲気は隠せない。

赤髪で痩身の青年に声をかけてみると、このイベントの主催者であった。

名前はヌイといい、フライヤーのデザインも彼が行ったという。

https://www.facebook.com/events/162441197261804/permalink/162441403928450/

 

「よく来たな! なんだお前、すごいかっこいいズボンはいてるな!」

 彼は快く僕を歓迎し、仲間たちに紹介してくれた。英語が得意でない若者がしゃべると、ヌイが通訳してくれる。

「お前も日本でバンドやってるのか?」

「うん、まあね。今は僕のせいで活動できないんだけど」

「どこまで行くんだ?」

「とりあえずこの後はラオスに行こうかな」

「それで日本に帰るのか?」

「いや、最終的にはヨーロッパまで行こうと思ってるんだ」

「お金は大丈夫なの?」

 

 ……もういいだろ。

 

 LOWFATのことを聞くと、ヌイは目を輝かせて

「あいつらはすばらしい。特にボーカルのサノがヤバい」

 と教えてくれた。彼らはどうやらまだ到着していないらしい。

 すると、一番目の出演者が現れ音を確認しはじめた。

 メンバーはみなタイ人。そう、これこそ僕の求めていた「地域性」だ。

タイでしかできないパンクを見せてくれ。

 

 しかしその期待もむなしく、彼らの演奏はお世辞にも上手いとはいえなかった。棒立ちのボーカル、手元ばかり見るギターにベース。リズムも時々ずれる。歌詞も英語で、曲調はよくある構成のポップパンク。

 まあ最初はこんなものか、と思いきや似たようなバンドが3組ほど続いた。僕の酒量は増すばかり。

 わざわざ自転車でこんなところまで来たのに、という後悔が頭をもたげてきた。

 するとそこへ白いバンが停まり、中から楽器を持った面々が降りてきた。ネットの動画で見た顔ぶれ。日泰混合ハードコアバンド、LOWFATである。

 僕はさっそくスキンヘッドの恐ろしげなボーカリストに声をかける。

「佐野さんですよね?」

「えっ、日本人? なんで?」

 彼はひどく驚いた様子でギタリストのユースケ氏と顔を見合わせた。

 僕はこれまでのいきさつを話した。

「街から自転車で来たの? 根性あるね」とユースケ氏。

 

 動画を見て、いてもたってもいられずにここまで来ました、というととても喜ぶ一同。童顔のドラマートッピー、屈強なベーシストのチャンと握手を交わした。彼らは完璧な英語を話す。

 

5番目のバンド、PINK PANTIはなかなか良いパフォーマンスをした。
楽しそうに踊るヴォーカル。楽曲もほとんどオリジナルらしい。

ようやく骨のあるバンドが現れたか!

 あっというまに何曲かが終わった。隣に立つ佐野氏もうれしそうな表情をしている。

「ダントツでかっこいいですね。このバンド」

「そうだね。他のバンド、あんまりだったでしょ? やっぱりチェンマイだからっていうのもあるよ。バンコクに来たら、彼らみたいなのは結構いるよ」

 途中で笑いを誘うような滑稽な曲なども挟みつつ、最後は限界までだみ声を張り上げて彼らのステージは終了した。

 そしてステージに上がるLOWFAT。

試し弾きもそこそこに曲が始まる前の静寂が訪れ、

 

 

 トッピーのカウントの後に爆音が鳴り響いた。

 その時すでに佐野氏はステージ上にはいなかった。

 人ごみに体当たりをくらわせて自らモッシュを引き起こしている。

 ユースケ氏の鋭いギターサウンドとチャンの重い低音が、力強いドラムに合わせて高速で突進し、聴くものの脳天を揺さぶる。

 何をいっているのかまったくわからないボーカルに煽られ、僕を含め、興奮した聴衆は街に放たれた闘牛のように大地を踏み荒らす。

 

 

 圧巻のステージ。僕はニヤニヤが止まらなかった。

国籍なんて関係ない。有名か無名かも関係ない。すばらしい音楽は人々をわけへだてなく魅了するのだ。

 最後の曲が終わり、LOWFATのメンバーたちは精根尽き果てたかのようにへたりこんだ。巻き起こる歓声、惜しみない拍手。

僕たち観客はお互いの顔を見やり、「すごかったな」と目で語り合った。

 最後に今まで出たバンドの代表者とヌイのセッション大会(GBHなど)が行われ、イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。

 確かに日本ほどアンダーグラウンドな音楽シーンは発達していないかもしれない。日本のようにほぼ毎日どこかでライブがある環境とはほど遠い。でもだからこそ、音楽ファンのひとりひとりが一回のライブを心から楽しみ、もっといいイベントを、もっといい音楽を創造していこうとする熱意に満ちているのだ。日本でライブに来る客層よりも圧倒的に若い彼らには、無限の可能性がある。

 「Do It Yourself(自分でやれ)」の精神はタイのパンクスたちにもしっかり根付いていた。

 時刻はもう午前2時すぎ。ビザの期間が迫っているため、僕は今日中に国境の街、チェンコーンまで行かなければならない。佐野氏をはじめ、今日一日でできた多くの友人に別れを告げ、帰り支度をする。最後にヌイがやってきて

「カオル、来てくれてありがとう。今度はバンドとして、絶対来いよ」と手を差し出す。

「ああ。絶対だ」

 

 僕は彼の手を固く握り、会場を後にした。

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