ユーラシアパンクめぐり#20 アユタヤ
うだるような暑さ、うるさいクラクション。
僕はカオスな都会から逃げ、また田舎を目指す。
タイの古都アユタヤへ。
アユタヤといえば寝釈迦。寝釈迦といえばサガット。→↓↘+P
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Wat_Lokaya_Suttha.jpg
瀟洒な作りのファランポーン駅構内に入る。
テナントとして海外資本のファストフード屋やカフェが幅をきかせていた。
窓口に行き、横から割り込まれることもなく切符を購入。なんと20バーツ(60円)だった。
京都市営地下鉄も見習ったらどうだろう。
発車まで時間があった。
ベンチに座ってぼんやりしていると、構内放送で厳かな音楽が流れ出した。
時報にしてはいやにシャレている。
すると、今まで座っていた人々が一斉にすっと立ち上がった。みな胸に手を当て、背筋を伸ばす。
歩いていた人も足を止め、同じ姿勢になる。
僕と同様に、欧米人の観光客なども何がどうしたのかわからない様子でポカンとしている。
人々が向いているのは、プラットホームへの入り口上部に燦然と輝く、タイ国王の写真。
その姿は豪奢な黄色い礼服に包まれ、毅然としてこちらを見据えている。
そうか、今流れてるのはタイ王国国歌か。
そういえば地下鉄の駅にも、大きな公園にも国王の写真があった。
現在のプミポン国王は過去にバンコクで起きた大規模なデモで何度も事態を収拾してきた、国民にとって最大のよるべである。しかしタイ王国といえども国王の権限には様々な制約があり、あまり普段の政治には口を出さないようである。
それにしても小さな子供を含め、みなじっとして動かずに王室や国王に対して心からの敬意を表している。座っているタイ人は皆無である。みんな本当に大好きなのだ。
定刻を10分ほど過ぎて、列車は動き出した。
チンタラ走るわりにガタガタとうるさく揺れる。市街地では車やバイクの方が優先されるらしく、踏み切りで列車の方がしばらく待たなければいけない。
ここはアジア。急ぐことは人の道に背く行為である。
年季の入った車内のつくりは日本の普通列車と同じように、四人がけの対面座席が両側に配置されているというもの。車内には熱がこもり、動いているうちは窓からの風で凌げるが、停車する度に灼熱を味わった。扇風機など屁の役にも立たない。
2時間ほどもすると、隣に座る日に焼けて真っ黒なオヤジが僕に向かって「アユタヤ」といって腕時計を指し示した。
鉄道でアユタヤまで行く観光客が多いため、僕が何も言わずともそう教えてくれたのだろう。
僕が手を合わせて礼をいうと、オヤジも手を合わせる。
うすうす感じていたが、タイ人とはなんて心根の優しい人々だろうか!
いろんな人がタイにはまる理由がわかった。
アユタヤ駅を降りて道なりに行くと、いきなり肥沃なチャオプラヤ河の支流に行く手を阻まれる。
橋はずいぶん離れたところにあるので、中心地へは5バーツ払って簡素な渡し舟に乗るしかない。
僕は庶民や白人たちとともに乗り込む。
片足のない運転手は、どす黒い肌に鋭い眼光で乗客が乗るのを睨んでいる。
みんながボートに座ると運転手はエンジンを入れ、華麗な手さばきで船を操った。
ものの5分で対岸に着き、バイタクの誘いを断りながら歩く。
ベトナムほどしつこいやつは一人としていない。根性ねえなあ。
そして僕は、シェムリアップで日本人に教わった、おすすめの宿にたどり着いた。
そこで会ったのは、やせ細った哲学ジャンキー、Tだった。
ずいぶん旅慣れた空気を発する男だが、聞けばまだ10日ほどだという。
彼は一ヶ月だけの予定で来ているが、カードが使えなくなり金がなくなったので、ここで少し手伝いなどして置いてもらっているのだった。
ずいぶん深刻な話を他人事のように語るものだ。度胸が据わっているのか、そこはかとなく能天気なのか。
よくよく話を聞くと、どうやら今までの人生で刺激的なことをたくさんやってきたらしい。
中島らもを心の師と仰いでいることからも、推して知るべし。
不思議と人を魅了する、変なやせっぽち。
日が暮れる前から主人とその家族、ご近所さん、そして僕とTという顔ぶれで酒盛りがはじまった。屋外のテーブルの上に、次々と空になってはまたウイスキーで満たされるグラス。
僕はTからガンジャをもらった。
たった一口で頭の中が揺れだした。
脳神経ひとつひとつが歓喜の雄たけびをあげている。
しかしそれも最初だけで、二口、三口と繰り返すと、だんだんと激しさはなりをひそめ、安楽椅子で揺られているかのような心地よい波が寄せては返す。
まぶたの裏が熱を持つ。
視界に映る全てが本来の色を取り戻したように鮮やかだった。
僕にとって、世界は好ましいものに変わった。
「カオルさん、僕はね、人生なんてやらせだと思うんですよ」
そうだよな。だったら死ぬまでせいぜいふざけないとな。
目の焦点が合わなくなった僕は早々に自室へと退散し、隣のレストランから流れてくるビートルズに全神経を集中させた。
スピーカーから流れるビートと、僕の心臓の鼓動がひとつになる。
ジョンが、ポールが、愛こそはすべてだといった。
僕もそう思った。
そのような堕落の日々は三日三晩続いた。朝は隣接するレストランでバナナシェイク、昼間は自転車を借りて古代の遺跡をめぐり、夕方からは全員でどんちゃん騒ぎ。
呆けた頭で見る夕焼け空はあまりにも美しく、僕は生きとし生けるものすべてに感謝せずにはいられなかった。
その間にもいろいろな国から来た旅行者がアユタヤを訪れた。
中でもドレッドヘアーのフィンランド人、マウリ・カオスは一番のジャンキーだった。
元ブラックメタラーの彼は今ではレゲエしか聴かないらしいが、僕の曲を聴かせると、すばらしいといってほめてくれた。
フィンランド人のくせに英語が上手でなく、Tと二人で助け舟を出しながら彼の話を聞いた。
彼によれば、東南アジアには人間のむきだしの姿があり、ガンジャはわれわれヨソ者がそれに近づくための一番いい道具だという。知ってるよ、そんなの。
Tと目が合った。僕たちは「あははははは」と笑った。つられてカオスも笑う。
まやかしの楽園が、そこにはあった。