ユーラシアパンクめぐり#19 初バンコク

日本人ボーカルとギター、そしてタイ人ベースとドラムによる4人組のハードコアパンクバンド、LowFat。その編成を聞いただけで多大な興味をそそられる。

さっそくネット上の動画を見た。

 

楽器隊がかなりの爆音をかき鳴らし、ボーカルは鬼神のように暴れまわっている。

これは是非とも生で見たい!!!

僕はここらで再び当初の目的を思い出し、積極的に動こうと心に決めた。

 

 インターネットで調べたところ、バンコク市内での彼らのライブは数週間先だった。

ということは僕のビザなし滞在期限がすぎてしまう。けれど検索を続けると、6月29日、タイ北部の都市チェンマイで野外パンクイベントが開催され、彼らもそれに出演するという情報を得た。

今日は6月18日。

バンコクを満喫した後、ゆっくりタイを北上し、チェンマイでライブを見た後ラオスにでも入ろう。

 バックパッカーの聖地、カオサンにある一泊150バーツ(約450円)の安宿で僕は旅程を決めていった。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Khaosan_road.jpg

 

カンボジアからタイに入ると、すべてにおいて驚きの連続である。

国境を越えて整備の行き届いた道路を走り、5分もしないうちに「セブンイレブン」を発見した時は我が目を疑った。

中国以来のコンビニ。それすなわち、定価があるということ。

もう僕は物を買うのにふっかけられることもないんだ! 僕はすぐさまキットカットを買って食べた。サンキュー、資本主義。

 道路を走るのも、バイクよりも自動車が多い。そして多彩な看板が目に止まる。カンボジアではオッサンが笑っている政党のPR看板しかなかった。

そのような経済成長ぶりにもかかわらず、もっと驚かされるのが物価。

500ミリの水のペットボトルが7バーツ(約21円)、屋台で食べるタイ風焼きそば、パッタイは25バーツ(約75円)。カンボジアと同等か、さらに安い。そして、お釣りの札や硬貨がキレイなのにも驚く。

 

 宿の共有スペースで情報収集をしていると、

「君、日本人?」

と声をかけられた。

見ると、30代くらいの髭面の男だった。

往来から帰ってきたばかりでTシャツの首周りはびしょびしょ、額に浮かぶ汗をしきりに拭っている。

「はい。あなたも?」

 そういいながら僕はなんて馬鹿な質問だろう、と思った。

「まあね。ところで君、トラックにでも轢かれた?」

男は僕の穴空きパンクズボンを指差していった。男はサトシと名乗り、まるで呼吸のように次々と言葉を吐き出す。

ずいぶん何度も東南アジアを周っているようだが、話しぶりは自慢気なふうでもなく、日本人宿にいるような世捨て人のように斜に構えているでもなく、ただ気の赴くまま素直にしゃべる様子に僕は好感を持った。

「最近はカオサンも日本人が少なくなったからね。うれしいよ」

その夜、僕は彼に誘われるまま夜のバンコクへと繰り出した。

 

光り輝くネオンの下、観光客や露天商が道いっぱいに溢れている。

 タクシーやバイクはそれでも人ごみを掻き分けるように入り込む。

  猥雑な空気に漂う、うまそうなメシの匂い。

   前を歩く欧米人の香水の匂い。

    路地裏でふと嗅いだ大麻の甘い香り。

 

 僕たちは広い通りに出てバスに乗り、彼の知る様々な歓楽街へ行った。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chinatown_bangkok.jpg

 

ヤワラートという中華街でフカヒレスープやツバメの巣などの高級食材の他、牡蠣オムレツに空芯菜の炒め物を食べ、スクンビットのディスコで踊り、キレイなタイオカマにつきまとわれ強引に腕を組まれてすかさず振り払い、裸の女性が踊る風俗店を冷やかして歩いた。

 ある人気のない道に出てよく目を凝らすと、なんとギリギリまで肌を露出した、艶かしい肉付きの女がしゃがみこんでいた。

シンハービール5本で酔っ払っていたサトシはすかさず彼女と交渉を始めた。

「ハウマッチ? ……へえ、やっぱゴーゴーバーなんかより安いな。ゴム? ノーゴム? ……オーケー」

 何がオーケーだ。

 しかし彼はただちょっかいをかけたかっただけらしく、値切るだけ値切って「コップンカーップ」と手を合わせ、立ち去った。

僕は後ろ髪をひかれつつ小走りで彼の後を追う。

「ちょっと、なんでやめたんですか?」

「僕はコミュニケーションが取りたかっただけだよ。それに、もう女を買うような歳じゃないしね。あ、行きたかった?」

「えー……っと、うーん……」

「若さだねえ! でもやっぱり最初はパッポンか、ナナプラザ周辺にしといた方がいいよ。カオルくん、さっきみたいな立ちんぼうの場合はね、いざホテルの部屋に行くとコワいお兄ちゃんが待っていたりするんだよ。気をつけたまえ」

 

深夜をまわり、宿に帰るころには僕はすっかり疲労していた。

考えてみれば、日本を発ってから今まで各地でライブハウスに行ったことはあっても、夜遊びらしい夜遊びをしたのはこれが始めてだった。やはり僕には豪快な遊びは身にこたえるらしい。

京都の木屋町通り沿いの小さな店で、浅川マキなどを聴きながらちびちびとビールを飲むのが性に合っている。

 

 狭いシングルルームのくたびれたベッドに倒れ込むが、外のバカ騒ぎやズンズン鳴る音楽と、夜でも驚異的な湿気がなかなか僕を眠らせてはくれない。

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