ユーラシアパンクめぐり#3 上海~昆明

 

とりあえずどこでもいい、早く上海から、いや、中国から脱出したい!

女子たちにこっぴどくだまされたあげく、翌日見に行ったパンクのライブも、収穫といえばピストルズのコピーバンドを見れたくらいで、途中で宿の鍵を落として弁償したりといいことはなかった。

 当日の香港行きは売り切れていた。香港こそパンクがいるだろって気がしたけど、もういいや、一気に昆明(ベトナム国境に接する雲南省の省都)へ行こう。

 上海南駅に着き、電光掲示板を見上げる。

中国の列車席には等級があり、値段の順に軟臥(やわらかいベッド)、硬臥(硬いベッド)、軟座(リクライニングできる座席)、硬座(JR在来線のような4人掛け)となっている。

 本日最後の昆明行きのK79という列車には、どの席にもまだ残数はあるようだ。

18時21分発、到着予定時刻は翌々日の午前7時5分。なんともはや、37時間の長旅だ。

 切符を買うのも至難の業。だって並んでてもひょいって追い越されるんだもん。心が折れそう。

ようやく先頭にたどり着き、「昆明、今天(今日)」と書いたメモを見せる。

職員は完全なるやる気のなさで対応してくれた。

PCのモニターをこちらに向けて、どの席にするのか、と睨む。

そこに硬臥と軟座の残席はなく、軟臥か硬座から選ぶしかない。僕が並んでいるうちに売り切れたのか、電光掲示板がポンコツなのか。うーんどうしようと迷っている間にも後ろに並ぶ人々のプレッシャーを感じる僕はやはり日本人である。

ここで一番きつい道を選べば、後が楽になるかもしれない。

僕は良くわからないエクストリームな想いで硬座を指差した。278元(約3500円)だった。2000キロ以上の距離と2泊(イスで)分を考えればかなり安いだろ!!!!なんとかなれ!

 

列車は最大限積めるだけの荷物と人々を乗せて出発した。

硬座クラスには外国人らしき人は皆無。みんなちょっと土っぽい庶民といった感じ。

切符に記された番号の座席にいくと、そこには早速くたびれたオヤジが座っているコノヤロウ!!

切符を見せてやると悪びれもせずどこかへ消えた。めんどくせえなあもう、、

 日本と同じ対面式の4人がけだが、天井の棚に積みきれなかった荷物が座席の上や地べた、通路にまで溢れ、全然足を伸ばすことができない。

僕は通路側に座っているので、何かと移動する人民に肩がぶつかる。「ごめん」なんてあるわけがない。

最下等の座席だからか。

 

生きて抜け出られるかな???

 

 大都市部を抜けると、ヒビの入った巨大集合住宅と余った土地ばかりになる。

窓外の景色が暗くなるにつれ、だんだんと車内が騒がしくなってきた。

トラブルというわけではなく、あちらこちらで見るからに初対面の乗客同士が世間話をはじめている。

 しかし僕の前に座る夫婦や隣の老人は、彼ら三人で話すことはあっても僕に話しかけようとはしない。中国人になるには会話に割り込む力が必要なのだ。

 

 そして車両連結部近くにあるこの等級唯一のトイレは案の定、ブルータル・デス・ゴアグラインド状態。

 

臭いもひどければ、地面もビシャビシャ。紙なんてあるはずもない。

僕は秘かに37時間の断食・便秘修行を決意した。

 

 しばらくするとザ・たっちみたいな丸々と肥えた車掌が来て、長々と演説をぶってから順番に切符と身分証のチェックをはじめた。

 

僕の日の丸パスポートを見た彼は大仰に「リーベン(日本)!」とおどけてみせた。「オオ――――!」「アア!?!??」とみんな。

 その時点からの扱いの変わりよう! 僕は一躍有名人になってしまった!!!

車掌含め、人々が僕の周りに殺到し、あらゆる質問を投げかけてくる。

僕の名前、「薫」というのは「シン(xin)」と発音するようで、方々からシン、シン、と呼ばれる。

 

ああ、人気者ってこんなかんじなのね!

 

僕のマネージャー役を買って出た、霍という二十歳くらいの男が中心になり質問を整理してくれた。みんなが愛しく思えてくる。

 僕がメモ帳を出して筆談をはじめると、

どうして漢字が読めるんだ、日本でも中国語を話すのか、とか。

日本での仕事は? と聞かれ、僕は調子のいいことに「音楽家」といってみる。「非常速短音楽、我叫!」とデタラメに説明するとわかってくれた。そんで持ってきたフラットサックスのCDを配りまくった。CDプレイヤー持ってんの? きみたち。

 

 

以下、主なやりとり。

「一人で旅行してるの?」はい。

「次はどこ?」昆明、越南(ベトナム)。

「結婚は?」まだです。

「日本の女の子紹介してくれない?」じゃあ俺にも中国爆裂クーニャンをよろしく。

「蒼井空は最高」同意。

 ちょっと収集がつかなくなりはじめたところ、 霍君が「スモーキン」といって僕を連れ出してくれた。正直いって助かった。

 

 霍君は格好良くタバコを取り出し、僕にくれた。そして携帯電話でお気に入りの音楽を再生し現在の中国の流行歌を教えてくれた。中国の人々はどこか冷たそうに思っていたが、一度仲良くなると熱烈に気にかけてくれるみたいだ。

 冷房でキンキンに冷えた車内で、僕はなんとか五時間くらい眠った。無理な体勢のため、腰や首が悲鳴をあげている。

 窓外は、曇天の下に点在する赤レンガの民家と泥の染みついた道路。

 

 残り24時間。悪くないな、なんて感慨にふけっていると、またもザ・たっち車掌が現れ、僕に絡みはじめる。「リーベン!」

 彼の手にはトランプが握られていた。ゲームでもやるのかなと思いきや、おもむろに手品をはじめる。おい、仕事しろよ。

 あんまり騒ぐもので、みんな起き出してきた。「うるせえぞ」なんていう人は一人もいない。生きてるんだから迷惑は互いにかけあっていくもんだ。

 朝食の時間帯には、あちこちでカップラーメンの匂いがする。僕は知らなかったが、列車内には給湯器が備えつけられているのだった。

しかし、なるべくトイレを使いたくない僕はラマダーン(断食)中なので関係ない。

 そんなこととは露知らずみんな次々に僕を餌付けしてくれる人民の方々。ミカンや豚の干し肉、そしてヒマワリの種。

 そう、このヒマワリの種ときたらえらい人気である。あっちでボリボリ、こっちでパリパリ。上級者になると手を使わずに前歯だけで殻を割る。そして当然のように通路へポイッ。窓からポイッ。

僕はうまく割れずに苦戦するのだが、そんな様子もおかしいらしく笑い出す人々。

 僕に何か面白いことをいわせようと、ザ・たっちが僕に耳打ちしてきた。

それをそのままいうと一同大爆笑。ははあ、下ネタですね。

さらには汽車が停まり女性が乗ってくるたび「可愛(クーアイ)」「漂亮(ピャオリャン) 」と僕に耳打ちしてくる。

ためらうことなくそのまま僕はいう。そして女性に汚いものを見るような目で見られてしまい、一同大爆笑。

僕は芸能人からただのいじられキャラに成り下がった。

 

 車内2日目が終わる。

 

 見知った顔が一人、また一人と降りていく。

あんなにぎゅうぎゅうだった車内も、もう前の席に足を乗せられるほど閑散としている。僕が眠っている間に霍君もどこかの駅で降りてしまった。

 あの騒がしい中国語が聞こえないのも寂しいものだ。

 この車内で出会った彼らに会うことはもう二度とないだろう。山間から顔を出す朝日を見つめ、僕は少しセンチメンタルな気分になる。

 午前6時すぎ、38時間の長旅を終え、列車は終着の昆明駅にたどりついた。

 ザ・たっち車掌と別れの握手をして僕はプラットホームに降りた。

 

 

 みんなそれぞれの道を行く。

 日常に戻る。

 僕の日常とはなんぞや?

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