ユーラシアパンクめぐり#1 出発

2015年5月現在、そろそろ2年前の一大世界旅行でもふりかえろうかと思い、書きはじめることにした。

 

世界のヘタレパンクを見に行こう!

 

京都での仕事をやめ、婦女子たちに惜しまれつつも僕は船に乗った。

いつもと同じ、お気に入りのバンドTシャツに穴だらけの細いズボン、トゲのついたサンダルという格好で船内を闊歩した。ちがうのは深緑色のバックパックだけ(総重量5キロ)。「ほんとに荷物これだけ?」港での出国審査中、係官におどろかれた。

 

2013年5月7日、時刻は午前11時30分。新鑑真日中国際フェリーは大阪の南港から出帆した。揺れる足元。二等洋室という2段ベッド2台がある4人部屋に荷物を置くと、僕はすぐさまデッキに躍り出て離れていく日本を見守った。さようなら、ニッポン。今までこんなろくでなしを生かしておいてくれてありがとう。

真っ青な洋上を着実に進むフェリー。明石海峡大橋の下をくぐり、四国の北側を通り抜ける。日本は山が多いな、と思う。

 

おれたち地を這う人間には、飛行機で一気に進むよりも、船でカモメなんかと戯れながらちんたら行く方が合っているんじゃないか。もしかすると、飛行機で感じる耳鳴りや呼吸器の不快感は、人間が本来の領域を逸脱したことに対する天罰なのか……。

 

なんてこっぱずかしいことを考えていた。それくらい、船旅というのは僕にとっては良いはじまりだった。なんでも見てやろう。

夕日が水平線にくっつくまでたっぷりと旅情にふけると、さすがに感慨も何もなくなってきたので船内散策に繰り出した。

売店では若い女性店員が所在無げに立っている。『TAX FREE』やら『免税』やら、その他様々な注意書きなどが中国語、日本語、英語で表されている。

あとはこれ。

まだ大陸にはびこる変な日本語に慣れていない僕は、こんなところでも日本はナメられているのか、と思った。

船内2階の卓球室を冷やかすと、ルームメイトの日本人おじさんSさんが中国人青年相手に果敢に戦っていた。

年甲斐もなく必死にくらいつくSさんに対し、余裕の表情のまま打ち返す青年。横で見ていた仲間たちが何か言うと、青年はちょっと意気込んであっさりスマッシュを決めた。

得意気にハイタッチをする青年たち。

 

彼らの中で一番上手に日本語をしゃべる、眼鏡の奥に知性が光る徐(ジョ)君に話を聞いたところ、彼らは日本の大学へ留学しにやってきたエンジニアの卵であり、期間が終わり今まさに国へ帰るということだった。一年ぶりの帰郷らしく皆どこかウキウキしている。

 

そのメンバーで1階のラウンジへとなだれ込み、それぞれ酒を注文した後、中国式に「カンペイ!」とグラスをぶつけ合った。

「徐さん、中国にパンクバンドはいるの?」

「そうだね、あんまりよく知らないけど、北京とか上海ならいるだろうね」

「パンクって政治的なメッセージが強いでしょ? 政府に怒られたりしないの?」

「うーん、さすがにそんなことはないよ

「そっか。楽しみだなあ」

「でも、中国ではまだいろいろ不便なことがあるよ。たとえばフェイスブックができなかったり、反政府的なサイトは見れなかったりね」

それから彼はひとしきり中国政府への不満を語った。

僕の乏しい中国観では、人々は共産党に絶大なる信頼を寄せていて、政府と二人三脚で経済発展を続けているのだと思い込んでいた。

それも、彼の特別な考えなのかと思いきや、中国国内でも政府に対する不満の声は少なからず存在するという。

 

何にも知らねえなあおれは。

 

ラウンジに備え付けられているカラオケマシーンから聴いたことのあるメロディが流れ出した。

毎年夏になると、チャリティーをお題目にして走り続けるランナーの後ろにはいつもこの曲が流れていた。 谷村新司のサライ。

マイクを持っているのは明らかに中国人のオヤジ。なんでこんな曲知ってんの。

オヤジはエコーのうるさいマイクで熱情たっぷりに歌いはじめた。なんと、中国語である。サビに来ると、周りの乗客たちも口ずさんでいた。ちょっとした感動を覚えた。桜って中国にもあるんだっけ?

次は連れのチャイナおばさんが美空ひばりの『川の流れのように』を歌う。やっぱり中国語だ。それを聴いてうれしくなってしまうのは僕が国というものにとらわれている証拠といえばそれまでだが、でもうれしいんだもん。

 

ウイスキーで気が大きくなった僕もaikoのボーイフレンドを歌っておざなりな拍手をもらった。

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