ユーラシアパンクめぐり#32 トラブゾン
イスタンブール発、トビリシ行きのバスは、今まで僕が乗ってきたあれやこれやの長距離バスとは似ても似つかない、驚くほど快適な乗り物だった。
何よりもまず、バスの外観がツルンツルンのピカピカ!
http://www.istanbultours.org/turkey-bus-companies/metro-bus-company.html
たった今洗車を済ませてきたかのようだ。というか、洗車という概念がちゃんとあるのだ。
バスの下部、旅行者の荷物を収納するスペースも申し分ない広さ。
等間隔にちょっとした柵があるので、荷物同士がぶつかるのも最小限に抑えられる。
中国やラオスでは、よくこのスペースになんかどろどろした液がこぼれていたり、よくわからん物体をくるんだ筵が置いてあったりしたものだ。
車内に入る。
真ん中が通路で、左右2シートずつ、十分な間隔で座席が並ぶ。
日本のWillerにも匹敵する、ゆったりとした空間だ。
座席につき、そのほどよい柔らかさに尻が沈むと、もう再び立ち上がるのがおっくうになるほど。
そして最も驚嘆すべきは、大手航空会社の旅客機のように、各座席一つ一つにモニターがついているという事実!!!
もちろんヘッドセットもある。さっそく色々いじってみたところ、なんとスタジオジブリの「風立ちぬ」がリストにあった。さすがは世界のミヤザキ!!
巨匠独特のタッチで描かれた人物がしゃべりだした。
だが、トルコ語に吹き替えられていては全く内容がわからない。残念。
バスが出発し、しばらくして広い道に出ると安定走行に入った。
すると乗務員らしき男性が立ち上がり、前から順に人数を数えながら歩きだした。
黒い制服に身を包んだ眉毛が濃いイケメン。
彼は人数を数え終わると、なんと乗客一人一人に飲み物を振舞い始めた。
「コーフィー? チャイ?」
と聞いて、紙コップを客に渡し、紅茶ならパックを、コーヒーなら粉末を入れ、その上からポットでお湯を注ぐのである。
茶菓子にちょっとしたスナックもつく。もちろんモニターの下に可動式のテーブルがついているので、コップなどはそこに置けば良い。
優雅なティータイム。
となりのおっさんがビスケットを8枚くらいわけてくれた。
僕はトルコのホスピタリティに感動しつつ、こぼさないようにチャイを啜った。
高速道路に入ると、車窓からの景色はとてもダイナミックなものになった。
まず、人工の建造物がなくなり、真っ青な空が広がる。どこまでも続く砂地に少し突き出た潅木が目に付くようになり、その後ろに聳える山の連なり、そして時折垣間見える黒海が地球の圧倒的な存在感を伝える。
東南アジアの原生林に覆われた景色とは違い、このあたりはずいぶん乾燥した、砂っぽい土地である。
途中停まったパーキングエリアでは本場のケバブサンドを食べ、そしてやはりチャイを飲んだ。飲みすぎて、その後次の休憩まで僕の膀胱は破裂しそうだった。砂糖はほどほどにしましょう。
「トラブゾン!」と起こされたのが午前3時過ぎ。
慌てて外に出ると、8月とは思えないほどの極寒。
暗闇から無慈悲な風が吹きつけ、僕のダメージジーンズの穴という穴に入り込み体の芯まで凍えさせる。
こんな野ざらしの場所でどうしろっていうんだ?
ついに禁じ手のタクシーを使うしかないのか?
とにかく一人になってはまずい。
僕はなりふりかまわず、一緒のバスから降りてきた白人カップルに話しかけた。
彼らはとりあえず近くにあるバスターミナル(オトガル)へ向かうというので、僕はついていくことに。地図さえ持っていなかったので本当に助かった。
「いやー、英語が通じる人に会えてうれしいよ」
「俺もだよ。トルコ人には全然通じないみたいだよね」
長髪の彼氏が答えた。傍を歩くそばかすの彼女も少し笑った。
彼らはイスラエル人。夏休みでトルコ旅行中なのである。
イスラエルといえば、歴史のゴタゴタのせいでアラブ諸国から死ぬほど嫌われており、国境が接していてもシリアやレバノンなんかへは入国できないと聞いたが、トルコならば大丈夫らしい。
良くも悪くも、トルコはそこまでイスラームっぽくないのである。
例えば女性の服装にしたって、頭にヒジャブを巻きゆったりしたドレスで全身を覆う人もいれば、美しい髪をふりみだして歩くミニスカートの人もいる。
トルコは僕にとっての初イスラムの国だが、どうやら苦労せずに過ごせそうだ。
空が明らみ始め、イスラエル人たちとタクシーをシェアしてトラブゾン中心地までやって来た。彼らと別れて、僕は黒海沿いの宿が連なる通りを行く。
しかし早朝のためどこもまだ開いていない。
唯一やっていたのは、少し煤けている瀟洒な宿、Yuvan Otel。
寝ている主人を起こして荷物を置かせてもらった。なに、一番安いシングルで20リラだって? ……仕方あるまい。
ついに一泊約千円もするような土地に来てしまったのだ。
ああ、アジアは遠くになりにけり。
黒海から昇る真紅の太陽は、まるで今さっき誕生したばかりの新しい天体であるかのようだった。僕は疲れも眠気も忘れてしまい、「エヘヘヘヘッヘ」と笑いを止めることができない。
空気が乾燥しているため、空の色がくっきりと濃厚である。
トラブゾンの一日はこうして始まった。
しっかり睡眠をとった後、僕は狭い道を抜け、街の広場へと繰り出した。
足の裏、サンダル越しに硬い石畳の感触がする。
https://tr.wikipedia.org/wiki/Trabzon#/media/File:View_of_Trabzon.jpg
洋服店やカバン屋、そして靴屋におもちゃ屋などなど、透明なガラス越しに中を見ればちゃんとした店の形になっており、ドアをスイーッと開けて入ってみたならば、それこそ神戸元町の商店もびっくりのオシャレ空間にオシャレ陳列術で居並ぶ商品、微笑む店員。
僕はなんだかこの高度な文明に感動するとともに驚いてしまって、ゆっくり買い物をしてまわるなんてことはできそうにもない。
早足で歩き、無限に続くかのようなオシャレ街をやりすごし、ようやくアタチュルク広場に出た。
街路樹に囲まれた空間にベンチや噴水がある。
僕は端っこの方に座ってしばし街を観察する。しかし、観察されているのは僕の方だった。
東洋人が珍しいのか、通る人通る人、老若男女問わずほぼ全員が僕の方を見てくるのだ。
それすなわち、美人とも目が合うということ。イエス、グラマラス!
僕はここぞとばかりに笑顔を振りまいた。中には笑顔を返してくれる美女もいたが、たいていは何事もなかったかのように視線をはずされた。イスラムの女性はシャイだから仕方ないよね!
見られるだけでなく、特におっさん連中にはよく話しかけられた。
お菓子屋さんへ入ると、店主が「カラテ!」とか言ってじゃれ合ってくる。しまいにはお菓子をどっさり袋に入れ出し、無料でくれたりする。
トルコが親日国だというのはどうやら本当らしい!
それとも僕がチャーミングすぎるからだろうか!
腹が減り適当なレストランに入り注文しようとすると、なぜか店員は首を横に振るばかり。他の店でも似たような状況で、店員がいないところすらあった。
時刻は午後5時。まだ早いということか?
なんでもいいから、何か食べさせてくれ……。
レストランではない、小さなケバブ屋ですら営業停止中だった。
あからさまにうなだれた僕に、店のヒゲオヤジはニヤニヤしながら「ラマザン」と言った。
あー……。聞いたことあるそれ……。
イスラームの重要な期間で、太陽が出ている間は食事ができないというあのラマザンである。
ヒジュラ暦の第9月いっぱい続くので、西暦ならば今年は7月9日から8月7日まで。
トルコに着いてからは移動ばかりで気づかなかったが、今は真っ只中である。
仕方がないので僕はまた歩き出し、有名なモスクなどを見学して時間をつぶす。
(通りすがりのモスク)
(アヤ・ソフィア外観)
https://tr.wikipedia.org/wiki/Trabzon#/media/File:Hagia_Sophia,_Trabzon.JPG
(アヤ・ソフィア内部)
https://en.wikipedia.org/wiki/Hagia_Sophia,_Trabzon#/media/File:Floor_of_Hagia_Sophia,_Trabzon.JPG
一時間以上ブラブラして、ようやく憎き太陽が完全に沈んだ。
再びアタチュルク広場に来ると、野外にずらりとテーブルが並べられ、ラマザン明けを祝う人々が饗宴さながら賑やかに食事をしていた。
その数、広場付近だけで100名はいるだろうか。
無神論者としてこの中に入り込む勇気は僕にはない。
僕は小さな店で鶏肉とピラフとサラダをいただいた。
値段は600円。
これからは気軽にレストランに入れなくなっていくんだ……。
「チョック・ギュゼル!(めっちゃおいしい)」
僕がそう言うと、店員はとてもうれしそうな顔をした。
そして彼はトルコ人がその言葉を言う時にやるジェスチャーを教えてくれた。
指先をすぼめて軽く上下させ、チョック・ギュゼル。(çok güzel)
なんか不満げなイタリア人みたいだ。
指先をすぼめて軽く上下させ、チョック・ギュゼル。(çok güzel)
これで完璧。
帰ってネットで調べたところ、チョック・ギュゼルは美人を褒める時にも使えるそうな。
トルコでは「おいしいね」と「キレイだね」が同じ言葉なんですね。
なんというか、まあ本質的には同じ意味だもんな。
明日から使っていこう。