ユーラシアパンクめぐり#34 放浪画家・DAICHI
ジョージアの首都、トビリシではホステルジョージアという宿に泊まった。
外観の古さに比べると、中は意外にも清潔でちゃんとしている。
そしてなんと、滞在中ずっと赤ワイン飲み放題という太っ腹なはからい。
さすが、世界最古のワイン生産地の一つ。
しかしいざ飲むと、臭みはないものの、なんだか物足りない感じ。まあ無料なのだから文句は言うまい。
特筆すべきは、オーナーの細やかな気づかいだ。40か50代くらいのジェントルマンである彼は、どんなことがあっても決して慌てず、穏やかに業務をこなす。付近の情報や移動手段についてたずねれば、親身になってこちらがわかるまでつきあってくれる。
彼のしゃべる声量は大きすぎず小さすぎず、早口でもなければもったりもしない、人間が一番心地良く聴き取れるテノールの語り口だった。
僕が着いた日は男性用ドミトリーが満室だったので、同じ値段(10ラリ≒600円)で物置に泊めてくれた。彼は本当に申し訳なさそうにしていたが、僕としては事実上の「個室」なので感激こそすれ、非難などするはずがない。
宿には日本人の旅行者が多かった。バンコクやシェムリアップで会う日本人と違い、誰もみな個人を尊重するのに長け、無駄に自分の旅自慢をしない節度のある人たちだった。
極東人にとってかなりの辺境であり、何があるのか良く知られていないジョージアという国にまで来てしまうと、チャラついた学生諸君や、大麻・女目当てのおっさん、日本人同士で固まって他の国の旅行者とは関わろうとしない青春野郎ども、などといった人種は皆無である。
その中で特に異彩を放っていたのが、ダイチ&エリコ。
太い黒縁メガネをかけた短髪の男子と、ショートヘアでハキハキしゃべる女子。
二人とも身長は160センチぐらいで、しかも肌ツヤが良いので未成年に見える。
みんなが集まるスペースのイスに座り、なにやら相談している二人。
「二人は、これからどこへ向かうの?」
僕に気づいたエリコがすかさず返事をする。
「ヨーロッパ方面に行くんやけど、ルートがな……。どこ通っていったらいいんか、今相談してんねん」
「ああ。なるべくなら一筆書きで行きたいですもんね」
そして話はふとしたきっかけでネパールでのことに及んだ。
「うちらも行った! ネパールいいとこやったわ」
今は懐かしい、あの生命力に溢れる土地の話に花を咲かせているうち、僕らは自然とお互いの写真を見せあった。
「え、何この現代アート」
なにやら奇妙な模様が、整然と規則性を持って壁面に描かれている。
ネパール某所
集中するダイチ
これはすごい。宇宙? 陰陽? どんな意味があるのか。いや、何も意味はないのか。
とにかく僕の気に入ったことだけは確か。
こういうのは頭で考えて下手にそれっぽいコメントをしてはいけない。感じたまま。
「なんか、その、……すげえ」
僕はそんなコメントしかできなかったが、ダイチはうれしそうに顔をほころばせた。
「ありがとう。これは小学校の壁に書かせてもらった時のやつね。校長がめっちゃいい人やねん」
ダイチは世界各地で作品を描いて周る放浪画家であり、エリコはそのための交渉、イベントの企画などを受け持っている、いわばマネージャーだ。もう日本を出発してからずいぶん経つという。
ダイチはネパール以外での作品も見せてくれた。そして各地でのエピソードをおもしろおかしく語るエリコ。
現地人の優しさ、思いがけないハプニングなど、ストーリーに起伏を交えた話の巧みさはさすが関西人。きっと英語を使っての交渉力も並外れているのだろう。
(ダイチくんのツイッター→https://twitter.com/matsusakidaichi)
ホステルジョージアにはなんと無料の夕食がついている。
今まさにスタッフの女性が大きな鍋を前に忙しそうに動き回っている。
彼女がそりゃもう無邪気でねえ、色々しゃべりかけてくんのよ。ジョージアたまらんでしょ。
みんなタダメシには目がない貧乏旅行者ばかりなので、時間になると観光を終えて続々と一階共有スペースのテーブルには人だかりができる。
今夜のメニューはミートソーススパゲッティ。しかし成人男性にとってはちょっと物足りない量だ。こうして僕は食料を求めて夜の街へ繰り出すはめになる。
忠告しておくが、夜のトビリシは半端じゃなく恐い。
野良犬に吠えられただけで心臓が飛び上がるほどだ。ホステルを出てすぐは街灯のない通りが続く。そんなところにパーカーを被ったヤンチャな若者がたむろしているのだが、日本のコンビニ前でうんこ座りをする不良なんかとはまとっているオーラが違う。
オーナーが言うには、ついこの前も日本人がナイフを持った若者にカツアゲされたという。いいか、見るなよ、俺は金なんか全然持ってないぞ。
僕は大通りに出て運よくすぐに軽食屋を見つけ、サンドイッチとバカでかいペットボトルのビールを買ってそそくさと帰った。
首都に漂う陰気さとは反対に、ムツヘタという田舎町はとても牧歌的で、悪い奴などいようはずがなかった。
ホステルジョージアから、エスカレーターが地殻まで続くんじゃないかと思えるほど深く潜る地下鉄に乗り、物売りでごちゃごちゃしているディドゥベ・バスターミナルへ、そこでおんぼろのミニバンに乗り換えて約30分ほどで、なだらかな丘の麓に広がる歴史的な街並みに着く。
中世に建てられたというスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂の勇姿を拝む。外壁に彫り込まれた見事なレリーフもところどころ黒ずみ、過ぎ去った長い時間を感じさせる。
教会の入り口に鎮座する年老いた土産売りのおばちゃんを笑顔でかわし、僕は内部へ入った。とたんに温度が3℃くらい下がったように感じた。香炉の匂いが鼻腔に広がる。
天井や、イコノスタシスと呼ばれる部屋を仕切る壁に描かれているのは、中世タッチのキリストやマリア、そして使徒たち。みんな同じような目をしてやがる。
その他、金箔を贅沢に使った扉や、十字架、シャンデリア、ろうそく立てなどなどが全て神々しく配置されている。
大聖堂を出て丘を登ると、ひっそりと寄り合う昔ながらの家々が一望できる。
気持ちのいい風が僕をめがけて駆け抜けた。
ああ、ジョージア。
ジョージア・オン・マイマインド。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ray_Charles_FIJM_2003.jpg
本当はもう少し色んな町を見て見たいし、おいしいものも食べたい。
何よりいろんなタイプの美人に話しかけたい。
だけど、僕はヒロキに会わなければ。
東西文化の合流地点、イスタンブールで。
僕はアジア側から香辛料まみれの心で、ヤツはヨーロッパ側からキリスト教的愛情を携えて。
翌日、僕は心優しいオーナー、そしてダイチ&エリコをはじめ気のいい旅人たちに別れを告げ、トルコ製のバスに乗った。
イスタンブールまでは24時間かかるそうだ。どうにでもなれ。