ユーラシアパンクめぐり#29 カトマンズ盆地トレッキング

 涼しい空気の中、僕は朝食後の濃厚なチャイを飲み干した。

 午前7時。

 

幸先が良いことに、今日は雲が空を覆い隠すほどではない。

時おり顔を出す太陽が暖かく、山歩きにもってこいの気候だった。

今日中にカトマンズに戻らなければならないので、この赤レンガの宿に戻る時間はない。

だから僕は、全ての荷物が入ったバックパックを担いで山に登らなければならないのだ。

といっても、日本を出てから物が減るばかりなので、おおよその重さは4キロくらいだろう。

 このまま一本道をまっすぐ行けばいい、とじいさんは教えてくれた。

 

「気をつけて行きなさい。ヒマラヤが見えるといいな」

「ありがとう。またいつか会いましょう」

 

言われた通り山に向かって平坦な道を進むと、すぐに長い石段にさしかかった。

ちょうど上からスタスタと地元のおばちゃんが下りてきたので、寺院までの道をもう一度確認。大丈夫。ただただまっすぐ。

道の両側に鬱蒼と生い茂る木々で、回りの景色は全く見えない。

だから足下の段差をしっかり見て進む。

途中、ニヤけた金ピカの大仏に出くわした。

番人のオヤジが拝んでいけ、としつこいので僕は軽く世界平和を祈った。

ぐうたら生活を続けていたので体力面に不安があったが、なんとか石段を最後まで上りきることができた。そこからは、畑の小道や獣道などを突き進む。

  生い茂る木々、遥か下方にへばりついている集落、思いがけない山中の寺院、裸足やサンダルで僕を追い抜く子供たち。

彼らは登山客には慣れているようで、これといってこちらに注目してくれないのが少し寂しい。

 

途中で小さな集落に出た。

待ってましたとばかりに村人が集まり、コレを買え、アレはどうだ、むしろ金だけくれの大合唱。

 

キーホルダーや文具など、取るに足らないおみやげも彼らにしてみれば大事な現金収入なのだろう。ああ、こんなところにも資本主義が!

 

 地元女性のマストアイテム、背負うタイプの竹カゴはちょっと欲しかったが、バックパックの変わりが務まるはずもない。

 

 小さい子供の懇願さえはねのけて村を出ようとすると、ニヤニヤしたオヤジ(なんか僕の話ってニヤニヤしたオヤジしか出てこないけど本当ですよ)が僕の腕をつかんだ。

 

「まあ、待てよ。欲しいのはコレだろ?」

 

はい出ました、ガンジャ。

パンパンに詰め込まれた小袋。

値段は街で買うよりも格段に安い。

そう、ネパールの山間部のいたるところには自生する大麻が陽光を浴びてスクスクと育っている。だからこんなに安い。

だけど安心してください、自生のものは大体が粗悪品なので、僕はきっぱりと断りました。ました?

 

 そして徐々に雲が晴れ、彼方にそびえるヒマラヤの雄姿がくっきりとあわられた。 高い!

 

周囲の山地のその奥に、頭一つ抜け出している澄んだ青。

ゴツゴツとした稜線がいかにも自然の厳しさを教えてくれているかのよう。

 僕は興奮した。自然に口から「うわあ~~……」とかいう声がもれた。

 たまらず、普段はカメラを出すのも億劫な僕が何枚も何枚も写真を撮る。

 (まあ結局データ消えちゃったんだけどさ……。)

 

 この感動を、どうにかして誰かに伝えたい。大切な人々に。

 

誰かが言っていたが、その感動を伝える一番いい方法は、その景色を見て心を動かされた自分を見てもらうことだそうな。

 

いいこと言うよなあ。僕はこの旅が終わるころには、どんなパンク快男児になっていることやら。

なぜ自然を前にすると晴れやかな気持ちになるのだろう。

どうして些細な悩みなんて吹っ飛んでしまうのだろう。

きっと僕たちは、まだまだ無機質な世界でこもっていられるほど土臭さを忘れることができていないのだろう。だから金を払ってまで自然の領域へと向かうのだ。

 地球であったり、もしくは他人であったり、自分が何かに「生かされている」と意識することさえできたら、世の中はまだまだ捨てたもんじゃない。

僕はそんなことを思い、また歩き出した。

他の登山客の姿を見かけるようになり、少し進むと開けた空間に出た。

そして、目の前に広がる色とりどりの旗!!!

風にたなびくロープは天まで届くかのように終わりが見えない。

http://wikitravel.org/shared/File:Namo_Buddha_Banner.jpg

https://en.wikipedia.org/wiki/Thrangu_Tashi_Yangtse_Monastery,_Nepal#/media/File:Thrangu_Tashi_Yangtse_Monastery.jpg

 

 これがナモーブッダ。様々なストゥーパが立つ、チベット仏教の聖地である。

周りにはちょっとした飲食店や土産物屋があり賑わいがある。僕は腹ごしらえをしてから寺院を参った。

線香の匂いが充満する中、地元民に倣ってマニ車をガラガラ鳴らして歩く。

(チベットのマニ車) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prayer_wheels_in_Samye.jpg

 

これでお経を読んだと同じの功徳があるっていうんだから、大変おトクですよ、奥さん!

 

 あとはパナウティまでの道を下るだけだ。

 

前をスイスイ歩く、クルタを着た女性の左右に揺れる尻がとても悩ましい。

 

 

右、左、右、左…。

 

 ガツンッ!!!!!! 

 

という衝撃があり、激痛が走った。

足下不注意により、無慈悲な石ころにつまづいてしまった。

 

 

「ぐぬぬぬぬぬん」たまらず僕は土の上にうずくまった。

 

 

おそるおそる確認してみると、右足の親指の爪が真っ赤に染まっていた。

恐るべし、魔性のネパリー。あれがサキュバス……。

いや、そもそもクロックスで山登りなんてするんじゃなかった……。

幸い、もう目的地の村がかすかに見えている。

休憩を挟みつつ、僕はヒョコヒョコと残りの行程を下った。

すると向こうから東アジアっぽい顔立ちの若者集団が歩いてきた。

男女混合、青春満喫ミニトレッキングツアーってか。うらやましくなんかないぞ。

 彼らに挨拶し、その中の一人の青年と少し話す。台湾人グループだった。

「パナウティってもうすぐ?」

「もうすぐ! いい町だよ、あそこは」

「楽しみだな。君たちはナモーブッダに行くの?」

「そうそう。ちょっとみんなゆっくりしすぎて出発が遅れたけどね」

「まあ、ナモーブッダまでならそんなに時間はかからないよ」

 それじゃ、と僕が先を急ごうとすると、

「東北の地震は本当にひどかったね。俺たちは仲間なんだから、助け合っていこう!」

 と曇りのない調子で励まされた。

「もちろん。あと、義捐金送ってくれてありがとな」

「No Problem!」

みんなニコニコして、気持ちの良いヤツらだった。

日本政府は早く中華民国を国として認めてあげなさい。

「We Love JAPAN!!」

「I Love TAIWAN!!」

 と僕らは手を振って別れた。

 午後3時ごろパナウティに着くと、もうカトマンズ行きの最終バスがブルブル震えていた。僕の両足もプルプル震えていた。

傍目に見た風景は、ドゥリケルよりももっと田舎な、土ぼこりに覆われた街並だった。

合計8時間にも及んだ僕の秘境散歩は、こうして終わりを告げた。

色んなことを考えた、良い時間だった。

 

 

 右足親指の爪を山中に置き去りにして、僕はカトマンズへと戻った。

 

 また今度、ゆっくりネパールを旅しよう。生きてりゃいつか戻ってこれる。

 

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