ユーラシアパンクめぐり#28 ドゥリケル
「どうだ、お前もマオイストにならないか?」
全てのバンドが終わり、客も演奏者も屋上へ移動し、それぞれ歓談していた矢先のことだった。
メガネをかけた利発そうな青年は続けて言う。
「日本から俺たちを支援してくれたらとても心強い」
僕が答えに窮していると、彼はこの国の現状について語りだした。
イギリスから独立してからというもの、この国では国王が実権を握り続けた。
王家やその他少数の者ばかりが私腹を肥やし、大多数の庶民は貧困から抜け出せなくなっていた。
そんな中、ネパール共産党統一毛沢東主義派、通称マオイストと名乗る地下政党が、ネパール中西部の農村を拠点に武装闘争を開始した。そればかりでなく、各地の貧しい地域で道路建設や学校教育なども行った。
農民たちにとって彼らは、この現状を良くしてくれるヒーローのように映ったことだろう。
多くの尊い犠牲を払い、2008年、ネパールの政治形態は王政から共和制へと移行した。
王は退位し、マオイストは議会で最大の議席を誇る政党となった。
しかし、革命政府が政権奪取後に内部分裂したり、離反者を出したりしてうまくいかなくなるのは歴史が証明するところである。新しい憲法を作るための合意もできないまま、時間ばかりが過ぎていった……。
そんな政情不安もあってか、パンクスたちはみんな政治についての関心が高い。
今まさに、この秋に行われる総選挙に向けて、あーでもない、こーでもないの熱い議論が飛び交っているのだ。
「ところで、地震はもう大丈夫なのか?」
先ほどの青年が僕にたずねた。
「復興はしてきているよ。でも、放射線が漏れた地域はゴーストタウンのままだ。あれだけのことがあったのに、政府は原子力発電をやめようとはしない」
「そうだな。……大体、お前らの国の政治はどうなってんだよ。いつまでアメリカに服従し続けるんだ? イラクの時は特に失望したぞ。それに、気づけば経済だって中国に追い越されてるじゃないか」
よくご存知なことで。まったくもって耳が痛い。
どれもこれも僕たちの政治的無関心が招いたことなのだから。
日本のパンクスでさえ、ここまで政治について思案してるのがどれくらいいるだろう。
「まあまあ、いいじゃないかそんなことは」
そういって割り込んできたのは、さっきからメガトン級の紙巻き大麻をふかしている陽気な男。
「お前も吸えよ」とその大砲を押し付けてくる。
僕はカトマンズの汚れた空気にノドをやられていたので丁重にお断り……させてもらえなかった。仕方無しにちょっとだけ吸いこむ。
「違う違う! もっと思いっきり吸い込むんだ!」
いつの間にか僕の周りにはギャラリーができており、みんなが僕をはやし立てた。一気に、強く吸う。
ノドが焼ける!
ゴホゴホとむせ込む僕をゲラゲラ笑う野次馬たち。その中の一人が下手くそな英語で言った。
「ヘイ、ネパールについてどう思う?」
「日本とは全然違うね。ここは信じられないくらいカオスだ!!」
僕はほめ言葉でそう言ったのだが、瞬間、その場にはピリッとした空気が流れた。
「あ、つまりその、日本は秩序がありすぎてなんか辛いっていうか……」
しどろもどろの僕にみんなは冷えた笑いを浮かべるのみ。口は災いのもとである。
翌朝、僕は日本人に有名な旅行会社、ATITHIツアーズへ行った。
なるほど、店内は日本語の書籍でいっぱいである。
更にスタッフのミスター・スディールは、感情こそ見せないが完璧な日本語で応対してくれた。
彼に言われるがまま、
明後日発ポカラ(ネパール随一の景勝地)行きのバスを予約し、
彼に言われるがまま、市内で一番人気の日本食レストランKIZUNAでカツ丼を食らい味噌汁をすすった。
宿に帰り、彼から借りた古い「地球の歩き方 ネパール編」を読んでいると、僕ははたと気がついた。
俺はスディールの操り人形なんかじゃない!
ということなので、旅行者が少ないどこかちっこい街へ行ってブラリ山歩きをすることにした。
地球の歩き方をパラパラめくってランダムにドン!
チトワン。国立公園でゾウやサイを観れます。カトマンズ市内から5時間。ボツ。
ドン! ドゥリケル。標高1500メートルの古都。パナウティまでのミニトレッキングがおすすめ。カトマンズ市内から2時間。
……これだ!
早々にチェックアウトをし、僕は街のはずれにあるオールド・バスパークまで歩いた。
そこは行き先の表示板もなければチケット売り場もない、野良パークだった。
ちなみに、「バスターミナル」ではないらしい。
うじゃうじゃいるネパリーに「ドゥリケル?」と聞いて周る。ボロボロのミニバスを指さされた。乗り込む。60ルピー。
午後3時ごろ人が満杯になり発車、僕はデコボコ路ト窮屈サニモ負ケズ、しっかりと寝た。
2時間後、バスは田舎道で停まった。だだっ広い荒野に何台か同じようなバスが停車している。
運転手が僕を見て「ドゥリケル!」と叫んだ。僕は慌てて降り、まず目に入ったのは、街を囲む山々とその上に浮かぶ白い雲……。
……じゃない! あれは、あれはヒマラヤだ!!!!!!!!

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dhulikhel1.png
あまりの高さに、それが雪化粧をした山頂だとわからなかった。
今は雨季であるため見晴らしが悪く、うっすらとしか見えない。
しかしそれでも僕を圧倒するには十分だった。
これが世界最高峰!
浜坂の登山家、加藤文太郎の夢見た世界の屋根!
明日のトレッキングの時にはスカッと晴れてくれますように!
少し歩くと、赤茶色のレンガの街並みが広がった。
統一感のあるそのさまは、まるでRPGゲームの世界のようだ。

黒髪の女が商店で野菜を選ぶ。
暇そうなオヤジが地べたに座ってタバコをふかしている。
旅行者らしき人は全く見当たらない。
道なりに進み、4階建ての古い宿を見つけた。
ナワランガ・ゲストハウス。
最上階の張り出したベランダが今にも崩れ落ちてきそうな、趣のある建築物であ る。
草と戯れ庭仕事をしているじいさんに話しかけると、じいさんはカマを置いて僕を中に案内してくれた。
一階の食堂には、画用紙やキャンバスに描かれたネパールの風景、人物画などがところ狭しと並べられていた。

「あなたが描いたんですか?」
「いや、地元のアーティストたちだよ。ここに飾っておけば、世界中から来た旅行客が興味を持ってくれるだろ」
中でも、ヒマラヤの厳しさを物語るかのような、鋭い筆致の作品に僕は心を奪われた。
「その作品は素晴らしいだろ。どうだ、買っていかんか?」
「……ごめんなさい。僕は長旅の途中なので、荷物は増やさないことにしてるんです」
「そうか」
僕の答えに、じいさんは嫌な顔ひとつせずにニコニコ笑うのだった。
じいさんに案内され、2階の300ルピーの質素な部屋に決めた。
ドゥリケルは食堂さえ少なそうな集落だったので、街歩きの前にここで腹ごしらえをすることに。
料理当番は手伝いの若い女性。じいさんの孫だろうか。
僕はネパール風煮込みうどん、トゥクパとチャイを頼んだ。
辛くない、コンソメの味 わい。太めの麺に野菜をからませて啜 る。
う、うまい。僕はビールを頼むのも 忘れるほど夢中で完食した。
だんだんと空は茜色に染まり、赤レン ガをさらに際立たせていった。
カトマンズと違い、うるさいクラクションやエンジン音もない。その代わりに聞こえる、犬の鳴き声、子供たちのはしゃぎ声。これぞ、秘境。
旧市街の寺院でたたずんでいると、学校帰りの少年たちが僕に近づいてきた。みんな好奇心まる出しの顔をしている。
彼らを代表して、勇敢そうな男の子が英語で話しかけてきた。
「ハロー!」
「ナマステ」
僕の返事にびっくりして、彼も「ナマステ」と言い直した。
お互いの国について語った後、僕は彼に将来の夢を聞いた。
彼は真面目な顔で「将来は学者になるんだ」と言った。
なんてまっすぐな目だろう。

田舎町の夜は早い。
夕食後、僕が一階で酒を飲んでいると、さっきのお手伝いさんがやってきた。
こまごまとした片付けや掃除をテキパキこなす。
結構キレイだな、と思い眺めていると、
「もう寝る時間よ」
とのこと。今はまだ……8時半。だが彼女は容赦なく玄関の扉を閉めにかかった。
純粋で垢抜けないネパリー女性をたぶらかすのも気が引けるので、僕はおとなしく部屋に退散した。
静かな夜……
日記を書く合間に、ふと窓の外を見た。
そこには、今まで見たこともないほどの星の大群があった。
どうしようもなく胸が高鳴る。僕は急いで屋上へと駆けつけた。
「おお、いらっしゃい」
そこには先客がいた。
満月と星々の下、歳のわりに頑強そうな身体の輪郭が見てとれた。
地上の灯りは全て消えうせ、空気さえも動きを止めたかのようだった。
こんな夜があるなんて。
「なんてキレイなんだ……」
「そうだろう。これがドゥリケルだよ」
僕たちはしばらく無言で夜空を見上げていた。
流星がいくつも横切っては姿を消した。
僕の首が音を上げるころ、じいさんがポツポツとしゃべりだした。
「あの子に食堂を追い出されたんだね? 全く、母親に似て気が強いんだ、あいつは。私にだって容赦しやしない。
私にはね、他にあと6人も孫がいるんだ。みんな元気に育ってくれている。……だけど、私の子供は、みんな内戦で死んでしまったよ」
「それは……残念ですね」
「でも今は、それも運命だと思っているよ」
じいさんは相変わらずの微笑を浮かべている。
「私はここが好きだ。都会にはない、この落ち着いた暮らしが。もう宿をはじめて41年にもなる」
じいさんは立ち上がって、周りの景色を抱え込むように両手を広げた。
「ネパールにはこんなに素晴らしい自然がある。……だけどこのごろ、人々の心は荒んできているんだよ。経済的に豊かになることだけに一生懸命で、彼らにはこの星空を見上げる時間すらない。残念なことだ」
僕は知っている。
経済的に豊かになった国で人々が心を病んで死んでいくことを。
何不自由のない暮らしから、アホ面さげたバカが逃げ出していくことを。
人間とは、つくづく足ることを知らない。
「じいさんは、人々に自然の素晴らしさを思い出して欲しくてギャラリーやってるんだね」
「ああ。だけど……」
じいさんはまた首をめいっぱい反らして空を見上げた。
「自然こそ、どんな芸術よりも芸術だ!」
グッナイ、と言ってじいさんは満足げに階下へ降りていった。
夜が明けなければいいと思ったのは、これで何度目だろう。