ユーラシアパンクめぐり#25 バンビエン

 先日、僕はカオサンにある、インド人がやっている旅行代理店でバンコク発カトマンズ(ネパール)行きの航空券を2万円で購入していた。搭乗日は7月18日。

 

 それまでどこに行こうか決めあぐねていたが、アユタヤで会った奇人Tから「今ラオスのバンビエンにいます。早く来てくださいよ」というメッセージが届いていたので、しょうがねえなあ、会いに行くことにした。

 

ラオスって何があるの? と旅行者に聞くと、みんな口をそろえて「何もない」という。

大阪人が滋賀や和歌山について語る時と似たようなものか。

 だが、アジアの深みにはまってしまった人々は続けてこうも言う。

 

「だからこそいいんだ」

 

 というわけで、夜7時ごろ、おなじみファランポー駅からタイ国鉄(1時間遅れ)に乗って、終点のノンカーイまで移動。

いわずもがなの硬座席、たったの213バーツ。ライブの入場料と同じくらいである。

 12時間揺られて翌朝、ノンカーイからバスで国境を通り、ラオスの首都バンビエンに着いた。

 バイクタクシーに乗りぐるっと市内を一周してみたが、確かにド田舎だ。

パトゥー・サイという凱旋門以外、高い建物が一つもない。

人工物よりも緑の方が多いんじゃないか。心なしか人通りも車もまばら。

 クラクションや排気ガスに苛まれないというのは素晴らしいことだが、それにしてもこれが一国の首都だとは。

 

 

 だけど赤髪のhideはこう歌っていたぞ。

「何にもないってこと、そりゃあ何でもアリってこと」

 

 

この街は将来どんな風に変わっていくのだろう。

都市の発展形式として、20世紀は世界中で様々な失敗が行われつつ進んでいったが、ラオスはこれからその過ちをすっとばして、いわば飛び級で最新テクノロジーを手に入れることだってできるのだ。……まあ、社会主義国じゃあ難しいかもしれないが。

 それでもバスターミナルの近くのタラート・サオ市場などは、ショッピングモールがずでんと構えており、テナントもそこそこ入っているようだ。外国人観光客もちらほら。

 売店で買ったラオス式サンドイッチをかじりながら、僕はバンビエン行きのミニバンに乗り込んだ。

 道中、恐ろしいほどの悪路に僕の身体は悲鳴を上げ続けた。

未舗装なのはもう仕方ないとして、国土のほとんどを山間部が占めるラオスならではの急カーブ、ジグザグ道、さらに土砂崩れによる通行止めなどがひっきりなしに乗客の体力を奪うのだ。変な体勢になる度にあばら骨が痛む。

 なかなかスピードを出せないため、車内温度もえらいことになる。

 薄れ行く意識の中、僕の頭の中の田中角栄が「道路って大事だろ」と言ったような、言わないような。

4時間かかって、ミニバンは友の待つバンビエンに着いた。

見渡す限り、不思議な形の山が連なっている。

まるで仙人でもすんでいるような、角度の鋭い石灰石の山々。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nam_Song_River_Vang_Vieng_Laos.jpg

 

しかしながら街はずいぶんと観光地化されているようで、メインストリートには英語の看板を掲げたレストランや旅行社やゲストハウスが軒を連ねている。通り行く白人の多いこと。

中には昼間からしっかりキメてしまって、フラフラさまよっているヤツもいる。その目には何か素晴らしいものが見えているのだろう。

 3万キップ(約450円)のシングルルームに投宿し、さっそくインターネットに接続するが通信速度が明らかに遅い。何分もかかって、Tに「着いたよ」と返信した。

小さい街なので、僕たちはすぐに合流することができた。

お互いニヤニヤしながら、

「よお」

「ういっす」

 とかいって再会の喜びを表す。相変わらず、折れそうなくらいに細い手足だ。

「どう? ここの生活は」

「いやあ、変なヤツが多くて面白いですよ」

「そうなんだ」

「特に川沿いのバーの店長は気が狂ってます。そこに集まる客も最高ですよ」

「いいね。……とりあえず、腹へったから何か食べよう」

 僕たちは大通りを外れ、未舗装の道を歩き、とあるボロいレストランに入った。

「ここのラーメンがスーパー美味いんすよ」

 席に着くと、Tは慣れた手つきでタバコを巻きはじめた。

「アユタヤから脱出できたってことは、金はゲットしたんだ?」

「はい。母親のおかげで……。ありがとう、おかあちゃーん」

「よかったよかった」

 運ばれてきたラーメンは、もう匂いからしてスーパー美味かった。必死でかきこんではビアラオで喉を潤す。

「それで、それからどうしてたの?」

「あ、カオルさんがくれたCD、宿のプレイヤー使ってみんなで聴きましたよ」

「マジで」

「うん。僕はパンクはあんまりよくわかんないですけど、かっこいいですね、フラットサックス」

「そうでしょう、そうでしょう。宿のおばちゃんらは?」

「そうですねえ……、聴こえてないフリをしてました」

 Tはその時を思い出してニタニタ笑った。

「まあ……、しょうがないねえ。で、それから?」

「一回バンコクに戻って、ビエンチャンに少し滞在して、ここです。そうそう、バスで一緒だったフランス人の女の子と、最近までずっと一緒に過ごしてました」

 彼はまた聞き捨てならないことをさらっと言う。どうせ人形のように可憐な少女なんだろ。全くうらやましい。

「なかなかいい感じだったんですけど、彼女、結構自己中心的なところがありまして。まあ、色々あってルアンパバーンに行くって一人で行っちゃいました。僕も行こうか迷ったんですけどね」

「旅の途上で男女交際……。日常でもハードル高いのに、できる気がしないよ」

「かおるさんって、結構ヘタレですもんね」

「あ、バレてた?」

「バレてた」

 日も暮れて、白人たちが騒ぎだすころ、僕たちはTのおすすめのバーに行き着いた。

カウンター席と4人がけの座敷席が2つ3つ、そして奥にはビリヤード台が2つ置かれており、酔っ払った客たちが技を競い合っている。

 Tを見て、やけにテンションの高い店主は白い歯を光らせ、

「よう、また来たのか」

 というようなことを言った。飲み物を作る動作や客と話す仕草のひとつひとつが洗練されているナイスガイだ。

 僕とTはカウンターに腰掛けて、ウイスキーを頼んだ。

氷を入れたグラスが目の前に置かれ、店主がそれにめがけて、ディスペンサーから伸びるホースに接続された銃の引き鉄を引く。ブシャーッと勢いよく黄金色の液体が注がれた。

 僕たちは子供のようにキャッキャはしゃぎながら「おお~~」とかいう。店主は満足気に銃口に息を吹きかけた。

 ビリヤードをしたり、白人にからんだりした後、Tが「ハッピーピザ」を注文した。

 僕はハッピーになると同時に倦怠感に襲われた。

座敷に仰向けになり目を閉じると、まぶたの裏にくっきりと葉脈が見えた。動物の血管と同じように脈打っては、水や養分が流れていくのがわかる。そのイメージは、店内に流れる音楽と完全にシンクロした。

……。

 つまりはそういう街だ。

 

ダメ人間の間では、大麻やキノコでパラリラしながら野性味溢れるナムソン川を下るのがイカした遊びらしい。

とても幸福そうな目をした白人たちが浮き輪に尻を突っ込んでプカプカ流されていくのを見ると、どうもマヌケここに極まれりという感じがするので僕は遠慮しておいた。

だからといってすることといえば、Tと二人で怠惰に過ごすことだけ。

アユタヤの日々の再来、僕はまたダメになりそうだ。

 

 

歩みを止め、思考すら止めて、それでも夕暮れはやってくる。

 

 

土産物屋の軒先で、オレンジの豆電球が鮮やかに僕を過去に連れ戻した。

 

 僕は手を引かれて歩いている。頭にはウルトラマンのお面、空いている手には綿あめ、もしくは金魚が入った小さな袋。道の両方に露店が続き、人々は皆幸せそうに笑う。普段あまり遊んでくれない父だが、今日ばかりは小さい僕に歩調を合わせて歩いてくれている。

 

気がつけば、両目にうっすらと涙が浮かんでいた。

まったく、夕焼けってやつは。

 

 Tに言ってもどうせからかわれるだけだろうから、僕は急いで涙を拭った。

 

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