ユーラシアパンクめぐり#24 再びバンコク
チェンマイでやっと歯の治療を完了し、スペシャルマッサージを受けて翌日、僕は2時間半遅れのチェンマイ発バンコク行き列車に乗った。
座席の等級はもちろん最下等のハードシート。都合12時間の責め苦を味わった。
出発前に母がくれた空気式首用クッションがなければ、僕の首はもげていただろう。
母よ、その大いなる慈しみよ。
正午ごろバンコクのファランポーン駅に着き、そのまま予想外にキレイな地下鉄に乗ってルンピニー駅へ。交通量の多いラマⅣ世通り沿いに、食べ物屋、コンビニ、銀行などが連なっており、ちょっと路地を奥へ入ればもう落ち着いた雰囲気だ。
今回のバンコクではどんちゃん騒ぎに苛まれることなく静かに過ごそうと、このあたりに安宿をとることにしていた。
いくつか宿を回るも満室だと断られ続け汗びっしょりになり、ようやっとマダムゲストハウスという、ふくよかなマダムが一人で切り盛りするただの民家を開放したような宿に決めた。
床にアリが行列を作っていることを除けば大変快適なシングルルーム、120バーツ。ワイファイは一日20バーツ。
さて、今日はまたしてもLOWFATのライブがある。
イベント名は「Destroy It Yourselves」。初めてタイランドの首都、バンコクのパンクシーンをこの目にできるのだ。
僕はマダムに電話を借りて、佐野さんの携帯に電話をかけた。
あの猛々しいボーカルだとは思えない優しげな声。
「夜7時に高架鉄道BTSのヴィクトリーモニュメント駅で待ち合わせしましょう」
土地勘のない僕にはとてもありがたい。
「あ、マレーシア人のエノルも一緒だからね」
おお、マレーシアパンクスもいるのか。これはまた名刺代わりのCDを渡さなくてはなるまい。
カオマンガイを食べて昼寝して午後7時前。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Victory_monument.jpg
僕は安心しきって7時5分ごろに駅についたが、降りた途端、まずは人ごみに圧倒された。
更に出口がいくつもあり、どこで佐野さんを待てばいいのかわからない。
高架の通路からそのまま大きなショッピングモールに行けるようになっているため、仕事帰りのOLや学校帰りの学生たちがひきもきらずに通り過ぎる。
ちなみに、高温多湿のこの国の女子の制服は、純白の半袖シャツにピッタリとした黒いスカートというのが標準なようで、美しい身体のラインが一目瞭然になっている。
なかには超ミニやスリットの入ったスカートを履いた、上座部仏教国にあるまじき姿で挑発的に歩く美女もいる。……すれ違う瞬間のいい匂い。
(「タイ 女子学生」で検索!)
そうそう、待ち合わせだった。
地上に降りたりまた上ったりして、ようやく佐野さんに会えたのは予定を30分ほど過ぎたころだった。
異国での待ち合わせは想像以上に大変だ。携帯電話に慣れすぎるとこういう時に苦労するのだ。それにしても佐野さん、全然笑ってない。
「どこ行ってたのー」
「ごめんなさい。迷っちゃいまして」
こういう人は怒らせたら本格的にマズいぞ、と僕の直感が警告する。
ハードコアやってる人ほど、元来真面目なタイプが多いのだ。僕もそのうちの一人だ。
へーこら謝ってどうにかお許しを得た。すると彼は隣に立っている、うねる黒髪と見事なヒゲを蓄えた小太りチェ・ゲバラを僕に紹介してくれた。
(2014年マレーシアライブの際のエノル、一番右)
「エノル・イブラヒム。ナイストゥーミーチュー、カオルサン」
「ういっす」
エノルと僕は力強く握手を交わした。
それからも彼はことあるごとにカオルサン、カオルサン、と日本語の敬称をつけて呼びかけてきた。
僕より身長が10センチほど低いのもあって、なんだか顔の濃い後輩ができたようで少しほっこりする。笑って目じりが下がった時など、はちみつが大好きなあのキャラクターにとてもよく似ている。
こうしてカオルサンと佐野さんとプーさんは会場である「IMMORTAL BAR」が入る雑居ビルに到着した。階段の踊り場や、3階の入り口前のスペースに髪色鮮やかなパンクスやタトゥーびっしりのメタラーがうようよ。もちろん普通の格好のキッズたちも多い。
何人かは佐野さんを見つけると気軽に声をかけていた。
受付の美人に200バーツを払って中に入ると、もう最初のバンドが音出しをしていた。見た目はそれほどいかつくなく、好青年ともいえる3人組だ。
「このバンドはすごくカッコイイよ。特にドラムのテクニックが半端じゃない」
と佐野さんのお墨付きを受けたこのバンド、SMALLPOX AROMA。
ドラムのカウントで始まった曲は、正真正銘のグラインドコア!
ベーシストが複雑なリフを弾きながら獣の咆哮をあげ、ギターの歪みが合わさる。
そして佐野さんの言葉通り、マシンガンのように強烈かつ高速で、正確無比なドラム!
涼しい顔であたり一面にブラストビートの嵐を巻き起こす。
あっという間に数曲が終わり、観客たちは興奮しきって賞賛の声を上げた。
エノルも昂然とした表情で爆音に対峙している。
これが一番目でいいのか?
ただ爆裂しているだけでなく、知性が垣間見えるドラマチックな展開がまた素晴らしい。
グラインドコアというジャンルには僕のような下手クソパンクが気軽に手を出してはいけないということが良くわかった。
そうこうしてる間に、佐野さんがステージで準備を始めた。もうLOWFATか? と思いきや、なんと彼、ギターを持っているではないか。
佐野さんがギターを弾く別バンド、T.S.O.S.だ。
ドラム、ベース、ボーカルはみんなガタイのいい西洋人。
実をいうと、メンバーにタイ人が一人もいないのであんまり興味が湧かなかったが、パワフルでストレートなUSハードコアスタイルもたまにはいいもんである。ボーカルのよく通る声と、ステージ慣れした振る舞いに安定感がある。さすがにギターを弾いているので、暴れ坊主佐野といえども観客に飛び込んだりはしなかった。
ボブマーリーヘアーのボーカルが躍動する、チョンブリー県出身パワーヴァイオレンスバンドBULLET BRAIN、次々にビールを飲み干し底抜けハッピーな表情で暴れるハードコアバンドUNTHA ATTACKなど、次々に魅力的なバンドが演奏しては、会場を盛り上げた。
中でも、小さいチョビひげのおっさんがしゃがれ声でまくしたてるハードコアバンド、สันดาน(サンダーン)は素晴らしかった。楽器隊のタイトな演奏もさることながら、なんとおっさん、激しい音楽にうまくタイ語をのせて歌っているのである。
これぞタイでしか見られない土着性、唯一性。どこかねっとりとしたシャウトの響きが癖になる。
これだからこの旅はやめられない。
待ちに待ったLOWFATは、ユウスケさんのギターが曲の途中で音が出なくなるというアクシデントに2回も見舞われ、本来の躍動感が削がれてしまっていた。
観客もそれを感じとっているようで、いまいちノリが悪い。
それでも最後の方にさしかかったとき、客の間に激しいモッシュピットが起こった。
どうせなら盛り上がるしかあるまい、と思った僕は当然渦中に入って腕や肩をぶつけまくる。どんどんと場内のボルテージは上がり、よろめいた僕の目の前に背の高い男の姿があった。
グシャッ
という凶悪な音が肋骨から体中に反響した。
僕は床に倒れみ、しばらく呼吸もできずに悶えた。
痛みが落ち着くまで必死に耐えていたので、それからのライブのことはよく覚えていない。
とにかく全てのバンドが終了し、終電を逃し、僕の身体を心配する優しいエノルと二人、夜明けまでパンクがいかに素晴らしいか語り合った。彼とはまたどこかで出会う気がする。
とにかく、バンコクのアンダーグラウンドシーンは僕のあばらを粉砕するくらい激しかった。