ユーラシアパンクめぐり#23 チェンコーン2

 この泥色の大河のどこまでがタイで、どこからがラオスなのだろう。

それとも、どちらにも属さない緩衝地帯となっているのか。なら、僕は今どこにいることになっているのか、または、どこにいないことになっているのか。

もしぽっかり浮かぶあの中州に家を建てたら、住所は一体どうなるんだろう?

 

 

 タイ側のイミグレーションで出国スタンプを押してもらい、僕は旅行者や地元民に交じって渡し舟(40バーツ)に乗り込んだ。

 5分ほどで接岸すると、そこはもうフアイサーイ。ラオスである。

すぐにまたチェンコーンへ戻るにしても、少しは街を見て回ろうと散策を開始。

心なしか、チェンコーンよりもさらに何もない田舎町のように思える。

とあるカフェに入りコーヒーを注文しようとしたところですぐに気づいた。バーツしか持ってないじゃん。

 店員にバーツで払えるか聞くと、なんと一杯80バーツかかるそうな。これが関税というやつか?

 コーヒーをあきらめて、小高い丘にあるカラフルな寺院をチラッと見学し、ラオスに別れを告げた。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wat_Jom_Khao_Manilat.jpg

 

滞在時間ものの30分。世の中、金がなければ何もできないのである。

帰りのボートには、長い髪を後ろでしばり、無精ひげが伸び放題の日本人と一緒になった。歳は僕と同じくらいか、もう少し若いふうに見える。

彼は僕とは反対に、ラオスの長期滞在のために一瞬だけタイに行くのであった。

なんでも、ラオス人の彼女がいて、少しでも長く彼女といるためのビザラン(滞在期間を伸ばすために一瞬だけ隣の国へ行くこと)らしい。

その格好から察するに、おそらくヒモの類だろう。

ここには僕たちの祖国と違って、人の生き方を矯正しようとする不寛容な「世間」は存在しない。だからどうか、お幸せに。

 こうして僕は新たに15日の滞在を許可された。

チェンマイの歯医者の予約は4日後。それまではまた無為の日々を過ごそう。

 東南アジアを周遊していると、おのずと皆似たようなルートを通ることになる。

チェンマイを朝早く出発しても、なんだかんだで時間が過ぎてチェンコーンのイミグレーションが閉まってしまうなんてのは良くあることだ。そうしてラオスへと向かう旅人の多くはここで一泊してから隣国へ向かうことになる。

僕は4日の滞在の間に、様々な旅人に出会った。

 ポーランド人の美男子ダーヴィッドとは、人生や仕事、そして音楽についての色々な話をした。グラマーなスペイン女性2人組は僕に負けず劣らず英語が下手だったが、試しにイタリア語で話すと案外意味が通じたので僕は舞い上がった。その美女たちに取り入ろうとするちびのスイス人ダニエル。彼は暇さえあれば冗談を飛ばしてくる。

 スペインでは9時頃から夕食が始まるのよ、という美女二人に付き合い、僕たちは結局夜遅くまで酒を飲み交わした。

しかし、友情が芽生えたのも束の間、みんな翌日には旅立ってしまう。

「ヨーロッパでまた会おう」といって一人ひとりと握手やハグを交わすが、僕はひとり取り残されたようなさびしさを感じるのだった。

それと同時に、気をつけて行って来いよ、という親心さえも芽生えてくる。

宿屋の主人って、こんな気持ちなんだろうか。

 滞在3日目の朝5時ごろ、僕はもはや定位置となったテラス席で朝もやのメコンを見下ろしていた。あたりを支配する静寂。まだ誰も起きてこない。

 そんな贅沢な環境の中でふとメールをチェックしていると、LOWFATの佐野さんからの知らせが届いていた。

 

「音源、めちゃくちゃいいじゃないですか? オールドスクールなハードコアでありながら、どこか新しいというか、オリジナリティーがある。(中略)実は、こちらでローカルラジオ番組持っているんですが、そこでかけてもいいですか? 放送日は後ほどお伝えする形になりますが、大丈夫でしょうか? ご検討、よろしくお願いします」

 

 僕は何度も同じ文面を読み返した。

 ケータイを叩いたり、再起動したりしても、同じ文章だった。

  Flat Sucksが、タイのラジオで流れる!

 公共の電波で、俺のダミ声が!!

 お、オールドスクールでありながらどこか新しい!!!

そう、数日前チェンマイのライブで、僕は佐野さんにデモCD、「続、おひるねの時間」を渡していたのである。(ライブ会場で300円で売ってるよ!)

 

いささか無作法な行為だとも思ったが、是非とも自分のバンドの音を聴いて欲しかったのだ。

決して打算があったわけでは……ない……。

僕はすぐさま承諾と感謝の旨を震える指で打ち込んで返信した。

動悸は加速したまま、頭に昇った血は降りてくる気配もない。

極度の興奮状態に陥った僕は、朝7時過ぎの日本へとスカイプをかけまくった。

唯一繋がったのはベースのかおり。

「すごいやん! やっぱかおるくん、意味わからんな!」

「おう、俺もわからん! こりゃあ来年はタイでライブだな!」

この時はまだ冗談のつもりでそう言っただけだったが、いやはや、人生とはわからないものである。

僕はしばらくずっと日の出とメコンに向かって気味の悪い笑いを浮かべていた。

 

 

 ……ああ、バンドやっててよかった。

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