ユーラシアパンクめぐり#22 チェンマイ~チェンコーン

朝目が覚めると、左下の奥歯に鈍痛を感じた。

 

実は、ここ一週間その予兆はあったのだ。

急に痛んだり、いつの間にか感じなくなったり。しかしもう、ごまかしが効かなくなったのである。

一本一本叩いて調べてみると、ずっと以前かぶせ物をしてもらった歯が原因だった。

かぶせ物の下で何が起きているのか。試しにヘッドバンキングをするとひどくなる。

あわてて安静にし、痛みのことを忘れたころ、ちょっとした段差をまたぐその振動に奥歯がズンッ。

 

 心が挫けそうだ。

 

海外旅行保険なんていうボッタクリシステムには1円たりとも払っていない。

だからもし大掛かりな治療が必要なんだったら費用は大変なことになるだろう。

というか、タイの歯医者の腕前は安心できるのか?

おっと、その前にもうビザが切れるから隣国ラオスに行かなければ。しかし、東南アジア一の田舎国家、ラオス人民民主共和国で治療を受ける勇気は僕にはない……。

 頼れる人もいない僕は、あらゆることに自分ひとりで対処しなければならなかった。

布団にくるまり、スマートフォンを駆使して情報を集める。

この時ほど現代文明に感謝したことはない。

 

その結果、チェンマイは白人や日本人のロングステイ先として人気であり、充分な医療が受けられること、そして日本の国民健康保険に加入して毎月きちんと保険料を払ってさえいれば、今は自腹でも帰国後に治療費の7割は戻ってくるということがわかった。

 

ひとまず安心だ。

 

僕はまたも自転車(キヨシロウ)を繰り街へ飛び出し、小奇麗な歯医者を探した。

自転車で越えるちょっとした段差にも疼く虫歯。

旧市街を抜けターペー門を越えたところに銀行や医院などが連なっていた。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chiangmai_Thaphae_Gate.JPG

 

すると、いかにも高級で清潔な外観の歯医者を見つけた。その名も「D4U」。

自転車を止めガラス越しに中を覗く。

 受付嬢が美人。

もう9割方ここに決まった。

 

 極めつけに、白人のブルジョアじいさんが今まさに治療を終え、にこやかに出てきたではないか。約束の地、カナンはここだったのだ。

 

 

僕は速やかに受付を済ませ、治療台に座った。

これまた二重まぶたが印象的な美人歯科助手の登場である。絶対狙ってるだろ。

「それで、どうされました?」

「ここらへんの歯が痛いんです」

 僕は「虫歯」を英語で何というのかわからなかったが、「ペインフル」で乗り切った。

 彼女は背もたれを倒し、僕の口内を覗き始めた。

 そして、何が起こったか?

  当たっているのである。

        僕の頭に。

彼女の胸の膨らみが。

 僕はタイが好きだ。

 

 

レントゲンを撮ったりして、ようやく痛みの原因がわかった。

医療用語がよくわからない僕に、男性の医師がスケッチブックに絵を描いて教えてくれたところによると、かぶせ物の下で虫歯が進行しており、神経まで達しているというのだ。

そして、神経を抜く腕の良い医師が出勤できるのは午後3時ごろだという。

売れっ子なんだなあ。

 僕は礼をいって一旦宿に帰り、予定を練り直す。これは出発を一日延ばすしかあるまい。

そして午後3時、いかにも腕の良さそうな男性医師によって、無事僕の左下奥歯の神経は取り除かれた。僕の口内にはじめて無神経歯が誕生した記念すべき瞬間である。

一週間後にまた来るようにいわれた。

ということは、ラオスにちょっとだけ入国し、またすぐ戻ってこなければならん。

 さあ、気になる会計は、なんと9600バーツ。……日本円にすると、

 約3万円!!

 仕方のないことだ、これはどうしても避けられなかったのだ、と僕は自分を慰め、この損失が後々どう響いてくるのかという恐ろしいことは一切考えないようにした。

金が尽きたら帰ればいいのだ。マイペンライ(どうにかなるさ)。

 翌朝、僕は痛みの消えた歯でトーストエッグを齧り、優雅にコーヒーを啜っていた。健康でいることがどんなに素晴らしいことかが良くわかった。

あの美人助手に、母なる膨らみに想いを馳せて、僕はローカルバスに揺られ続けた。

途中でチェンライという街に寄ったり、長めの休憩を挟んだりして、国境の街チェンコーンにたどり着いたのは午後8時だった。外は真っ暗。

バスを降りた旅行者は僕の他に3人ほど。

そんな僕らをめがけて営業トークを始める、細身のおばちゃんがいた。

「うちは新しいゲストハウスで、シングル一泊150バーツ(約450円)、ドミトリーなら100バーツ(約300円)ですよ!」

オヤジでなく、おばちゃんの客引きというのも珍しいものだ。

値段も格安だし、他の宿を探す気力もないし、結局みんな彼女の宿「BAAN RIMTALING」に泊まることにした。

 メコン川沿いに安宿やバンガローが立ち並ぶ通りの中で、最も小奇麗な宿がそうだった。

 僕と中国人青年は4人部屋ドミトリーに、他の人たちはそれぞれシングルルームにチェックインした。僕は腹が減っていたのでさっそくメシにした。パッタイならすぐできるという。オーケー、あとチャンビールもね。

 川面に張り出したテラス席に座ると、暗がりの中といえども目の前に広がるメコンの雄大さがひしひしと伝わってくる。ザーザーッと力強く流れていく音は、やかましく耳を犯す自動車の音とは根本的に異なる。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_of_Laos_from_Chiang_Khong,_Thailand.jpg

 

 この向こう岸はもう別の国である。明日中にはタイを出なければならない。

そうやってたたずんでいると、聞き覚えのある、壊滅的に下手くそな英語が聞こえてきた。

振り向くと、坊主頭に丸メガネ、アユタヤで一日だけ一緒の宿に泊まった、日本兵(あだ名)さんではないか。

 

彼はたった一日の間に、人の話をまったく聞かないことで宿内にその名を轟かせた猛者である。

 

 彼は僕と一緒のバスで来た中国人にしきりと話しかけていた。

「アイシンク、チャイニーズカムジャパンイズベリーエリート!

 ベリーエリート! アーユーリッチ? オフコース!」

 

はにかむ中国人青年。

僕は巻き添えにならぬよう、そっと部屋へ戻った。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA