ユーラシアパンクめぐり#18 シェムリアップ2
発展途上国の観光地といえば、どうしても物乞いが目立つ。
手足のない老人などその道のプロをさしおいて、一番稼いでいるのは子供たちだろう。
ボロを着た年端もゆかぬ少女がつぶらな瞳を向けて 「サー、ワンダラープリーズ」 なんて迫って来たなら、多少なりとも心が痛まない者はいないだろう。
時には「イチドル!」と日本語を駆使してねだる子も。
憐れで健気だ、なんて思ったのも束の間、遺跡でも、街でも、どこからともなく現れてはしつこく食い下がられたら非常にうんざりしてしまう。
僕は普段から一切つっぱねることにしている。一人に施しを与えたら他の人々にもあげないわけにはいかなくなり、自分の中で「こういう場合にはあげる」という線を引くのもなんだか偽善の極みのような気がするからだ。
それに、中には組織立ってやっている連中もいる。
ある時刻になると、店じまいとばかりにそそくさと引き上げ、暖かい我が家に帰っていく家族。
最悪なのは、背後にマフィアなどが糸をひいている場合。間抜けヅラで「いいことをしてやった」という気持ちに浸っている旅行者を眺めて、裏社会の連中はさぞ良い気分だろう。
しかし、シェムリアップといえども遺跡のルートから離れた郊外まで行けば、事情は全く異なる。
僕は宿で中古の自転車(防犯登録は兵庫県でされたようだ)を借りて、でこぼこ道を進んでいる。
本棚にあった、アキ・ラーという人物の自伝的漫画、「密林少年」を読んで、いても立ってもいられなくなった僕は、彼に会うために中心地から20キロ離れたアキ・ラー地雷博物館を訪ねることに決めたのだ。
そうやって田舎道をつき進むと、ぽつぽつと高床式住居なんかが目につく。
僕は駄菓子屋っぽい家の前で自転車を止めた。
店の前でしゃがみこんで、なにやら遊んでいた小さな女の子と目が合った。
僕はとっさに身構える。また金をせびられるのか……。
しかし、少女は恥ずかしそうに店の奥へ隠れていっただけだった。
土産売りでもなく、物乞いでもなく、お菓子を買って喜んでいるだけの子供! そう、君だよ君!!!!!!!!!!!
彼女はやはり目の細い極東人が気になるようで、ちらりちらりと柱から浅黒い顔を覗かせるのだった。
なんて愛くるしいのだ! そこには「貧しい」や「かわいそう」という一切のネガティブワードの入り込む隙がない。
彼女の手に、トーストに練乳をかけた、日本でいうところの「ランチパック」みたいなものを持っているのが見えた。
僕はようやくあらわれた店番のばあさん(ヨボヨボ)に「あの子と同じ物をくれ」と指差した。2000リエル。つまり、50セントほどである。
少女はしばらくポカンとしていたが、僕が一口食べて「うまい!」と言うと少しだけ笑った。
本当は胃もたれしそうなほど甘かったのだが。
僕はその後も気ままに寄り道しながら、やっとのことでアキ・ラーの地雷博物館にたどり着いた。
緑深いジャングルで生まれ育ち、5歳の時に両親をポルポト率いるクメール・ルージュに殺され、以降は少年兵として様々な軍隊で生きることを余儀なくされる。
野性育ちの勘とでもいうような、類まれな危険察知能力に恵まれ、数々の修羅場を潜り抜け、終戦を迎える。
その後は平和活動に身を投じ、何の装備もなしに一人で3万個もの地雷や不発弾を除去する。その中には、かつて自分が埋めたものもあったという。そして地雷の恐ろしさを伝えるために彼が自費で建てたのが、この手作り感あふれる博物館である。
http://www.cambodialandminemuseum.org/
残念なことにアキ・ラーには会えなかった。受付の中年男性によれば、今はカンボジア北西部で地雷除去作業に従事しているということだった。
死と隣り合わせの作業がどんなものなのか、僕には想像もつかない。加えて、近隣住民からの謝礼などは一切受け取らないらしい。な、なんて男だ、アキ・ラー!!!
中に入ると、実物の地雷が何種類も並び、傍らにはどのように人を殺すのかの説明文。
順路(と呼べるほど広くはないが)を進むと、地雷だけでなく、マシンガンやミサイルなどの展示が不気味に居並ぶ。
そして最後に、粗末な装備で懸命に土を掘るアキ・ラーの写真の数々。
その中には、内戦や粛清によって、または戦後平和が訪れてからも各地に残る地雷で両親をなくした子供たちと一緒に写る、精悍な男の写真があった。
彼は寄付を元に孤児院さえも開いたのである。
僕はただ彼の偉業に感服するばかりだった。そしてまたやってくる、あの感覚。「それに比べて、俺は一体何をやってるんだ?」
※youtubeでアキ・ラー氏や地雷についての良質なドキュメンタリーを発見した。10分程度の素晴らしい映像なので是非ご覧になってほしい。
Land Mines in Cambodia: A short film made for the Cinema Verite Film Festival
宿に帰ると、一階のテーブルにはボランティアツアーから帰ってきた人々が座って団欒していた。
なんでも、毎回一人15ドルほど払って学校建設の現場に行っているらしい。
僕は彼らが少し苦手だった。
顔を合わせれば「私たちと一緒に参加しませんか?」だからだ。今までは「風邪ひいてて行けません」と断っていたが、もう自転車で40キロ走れるほど回復している。ああ気が重い。
さっそく僕を見つけたリーダー格っぽい女性がしゃべりかけてきた。
その小柄で可憐な身体は、建設現場で何の役に立つのかはなはだ疑問である。
「今日もすごく楽しかったですよ♪ どうですか、明日とか一緒に行きません?」
「あー、いやー……。その、ボランティアって、建築資材とか運ぶんですか?」
「まあ、やってる人もいますね。私たちは、主に子供たちとサッカーしたりして遊んでます♪」
15ドル払って?
「カンボジアの子供たちってほんとに純粋で、キラキラしてるんですよ♪」
「そうなんですか」
「どうです? 明日」
「……やめときます」
「♪」
「♪」
通りすがりの日本人旅行者を捕まえて、体験ツアーと銘打って一人頭15ドルもらい、ついでに働かせるというのはうまいやり方だ。
だが、特にアキ・ラー博物館を見た後では、中途半端なボランティアごっこに関わる気にはなれない。むしろ、どうせなら商売として割り切ってやってほしい。「カンボジアの田舎を知ろうツアー」とかでやればいいのだ。
やたらと「社会貢献」や「国際交流」という舌触りのいい言葉を使う人々に、本当の憂国の士はいない。
彼らの醸し出すふんわりとした空気が感染する前に、僕はバンコクへ行こう。きっとパンクが待ってる。