ユーラシアパンクめぐり#17 シェムリアップ1
アンコールワット観光の拠点シェムリアップでは、小ぎれいな商業施設、コンビニ、レストラン、銀行にマッサージ屋、さらには舗装されたばかりの道路や、鮮やかな信号(市内に5箇所のみ)などなど、遺跡マネーによる経済的潤いを痛切に感じられる。
そして、こんなに日本人らしき集団とすれ違うのは初めてのことだった。
上海、昆明、ハノイやホーチミンで、日本人の旅行離れは本当だったのかという暗澹たる気持ちにさせられたものだが、どうやらそれは名のある観光地に限ってはいらぬ心配だったようだ。
男女連れ立って元気に猥雑にレストランを占領し、数の力で居丈高、あっちでカンパイこっちでバンザイ、日本語が日本語を呼びいつの間にか大集団となってどんちゃん騒ぎ、なんて光景を何度となく目にした。
まったく、同じ日本人として恥ずかしい限りだ。もっと恥ずかしいのは、僕もその一員だったという事実である。
というのも、僕はこの街で初めて「日本人宿」というものに泊まったからだ。いわゆる、泊り客がほぼ日本人で、オーナーも日本人だったり、日本語を理解する現地人だったりする宿のことである。
まさかあんなに快適でどこか甘酸っぱい、修学旅行のような時間を過ごすことになるとは。
バイタクの運転手にいわれるがまま連れて行かれた「IKIIKI GUEST HOUSE」。数ある日本人宿の中でも一番新しくできた宿だ。
真っ白な門を通り、染み一つないクリーム色の建物に入る。受付のカンボジア人少年に「こんにちは」と挨拶され、そのまま日本語で丁寧な説明、掃除の行き届いた廊下の本棚には大量の日本の漫画、それを読みふける日に焼けた日本人たち。緊張するのは最初だけで、お互いすぐに打ち解けた。
8人用ドミトリー(3ドル、男女混合)に自然光が優しく入り込み、フカフカベッドのシワのないシーツの上に寝転べば、それはまさに天使のゆりかご。
おやおや、あのベッドの柵にかかっているのは、ブ、ブラ……j
――ここが約束の地、イキイキゲストハウス。
僕は一気に張り詰めていた気が緩むのを感じた。
そうすると不思議なもので、とたんに体中がダルく喉もいがらっぽくなり、さらには腕にできものまでできはじめた。
長旅の疲れが出たのだろう。これは静養しなければならん。
そんな僕のとある一日の行動をご覧に入れよう!!
・朝日が昇る前、ニワトリよりも早く起きる。
・他の人を起こさないようにベッドから出て、廊下のイスで漫画(稲中卓球部)を読む。
・アンコールワット+朝日を見に行く早起きな旅行者たちを見送る。
・7時ごろ、離れの食堂でひとり優雅に朝食タイム。メニューはフランスパン2切れ、オムレツ、バナナ、パイナップル、コーヒー。
・やはり起きているとなんとなくつらい。再びベッドにもぐりガイドブックや漫画を読む。
・昼ごろ、あらかた遺跡を観光してしまったがなんとなく滞在し続けるヒッピー日本人Y氏とローカル食堂めぐりに出かける。1ドル盛り放題のバイキングを発見。
・食後の昼寝。
・夕方、体調の許す限り散歩に出かける。マーケットの近くでギターを弾く現地の少年に出会い、ちょっと弾かせてもらう。
・宿に戻りシャワーを浴び、観光から帰ってきた人々と近くの日本食レストランへ行く。味噌汁がうまい。
・そのままコンビニでぬるいビールとおつまみを買い、2階のテラスで宴会。おのおのの出自や、旅した場所について話す。中でも、小笠原村在住のテツ氏が話す島での生活は興味深かった。なんでも外来種から島の生態系を守る仕事をしているらしい。
・そうそう、療養中の身だったのだ。10時にベッドへもぐり就寝。
……とまあ、こんな感じの日々が続いた。
そのかいあって、いよいよ体調が回復し、ついにアンコールワットへ行くことになった。
4人でトゥクトゥクを一日チャーターするのだが、メンバーは僕以外3人とも女性!!
これは吊り橋効果に期待がかかるところ。中でも登山狂の美人看護士、Wさんとは何かと意気投合し、良い雰囲気が醸し出されつつある。
そんな彼女に朝4時に揺り起こされ、長い一日が始まった。
「カオルくん、起きて!」
「……はーい」
……幸せってこういうことなんじゃないか?
僕たち4人は笑顔が印象的なドライバー、ティーさんが運転するトゥクトゥクで遺跡の入り口へと向かった。
1日券20ドル、3日券40ドル。僕は迷うことなく1日券を買いゲートをくぐる。薄暗い中、たくさんの人々が向かう方へとついて行く。
ベストショットが撮れる場所を探して歩く人、すでに三脚を立てて待ちわびる人、一人にカメラを預けておいてポージングに邁進する団体客。みんな期待に胸を膨らませていた。
明け始めた空の下、アンコールワットの輪郭が際立つ。瞬間、遺跡の背後に真っ赤な太陽がきらめき、そしてそれらが手前の聖なる池に反射した。この上なく神秘的な風景。知らぬ間にもれでた人々の歓声にまじり、あちこちでシャッター音が聞こえる。
※イメージ的にはこんな感じ
by MikeBehnken
だがすぐに分厚い雲が太陽を隠してしまい、以降いくら待っても空が晴れることはなかった。
僕たちは急がず焦らず、有名どころの遺跡を見て周った。古代の装飾文様の精緻さに驚き、遺跡を侵食するガジュマルに悠久なる自然の力を感じた。
気づけば、前を行きひっきりなしに写真を撮る女性2人と、だらだらしゃべりながら歩く僕とWさんというふうに別れて行動するようになっていた。
病院で勤務するという共通の体験(僕とは責任や重要度が違うが)から始まり、旅や人生に対する考えや、人との出会いについてなどなど、僕たちはとにかくたくさん話した。そしてお互い好きなタイミングで相手にカメラを渡して写真を撮ってもらった。
「カオルくんが相手してくれてよかったよ」
「ぼぼ僕もです」
「うれしいこと言ってくれるねー」
その日から僕や小笠原のテツなどいたいけな男子たちはマイペースな彼女に連れまわされて屋台へ行ったりメシをご一緒したりしたのである。
こうして一日、また一日とバンコク行きが延びてゆく。
――日本人宿、恐るべし。