ユーラシアパンクめぐり#6 河口
ナマステ、生脚。
朝8時に麗江を出発、バスはかなりの安全運転で昆明へ向かった。途中の山道で渋滞に巻き込まれながら、雲南省州都の昆明市西部バスターミナルに着いたのは夕方だった。
僕は昆明で宿を取らずに、ベトナム国境の街、河口(ハーカオ)方面行きのバスが出る東部バスターミナルへ向かうことにした。昆明市は思った以上に大きい街で各地へと向かう拠点になっているためバスターミナルがいくつもあるのだった。
正規職員と思わしき黒髪美人のお姉さんに東部バスターミナルへの行き方を聞いてみた。
なんか英語で「ここから何番の路線バスに乗って……」とかいってたけど、僕は彼女の整った顔立ちばかり見ていたので何にもわからない。
「ねーちゃん連れてって」というと、制服美女は嫌な顔ひとつせずに僕を操車場まで導いてくれた。
謝謝、漂亮(ピャオリャン)。
僕はさりげなく彼女の白い手を握った。
柔らかかった。
昆明はいい街です。
10元のオンボロミニバスに乗り込んだ。
小さな車体は時に一方通行を逆走しながら市内を横断する。
隣の薄汚いオヤジが何かしゃべりかけてきて、また僕が日本人だということがバレると、みんなニコニコと興味深そうに寄ってきた。「どこにいくんだ」「どこから来たんだ」……。
おばさんがミカンをくれた。僕はそんなに飢えているように見えるのか?
ミカンの皮をむきながら僕は考える。
反日デモとか、日本製品ボイコットとかって本当は嘘なんじゃねえか? 少なくとも僕と、このオヤジたちとのコミュニケーションごっこの間に時事問題が入るスキはない。
いつだって本当のことは、自分の目で見ないとわからないものだ。
ミニバスは午後7時に東部ターミナルに着いた。
幸運にも本日の河口行き最終バスはまだ残っていた。難なく切符を購入。
運転手の検札を受けて車内に乗り込むと……。
なんと、スチール製の二段ベッドが縦に3列ずつ設置されている! これは斬新ッ! バスにベッド! これが本当のスリーピングバス!
僕の席は前から2番目、真ん中の列の下段だった。ちょっと狭いがイスに座って夜を明かすより数倍快適だ。
僕は荷物を足下に押し込んだりして寝床をセッティングし、ふと上段を見た。
茶髪の娼婦っぽい女の子が肢体を横たえている。浅黒い肌からして、おそらくベトナムからの出稼ぎの帰りだろう。
脚の付け根まで見えそうなホットパンツ、
豊かに膨らみTシャツを押し上げている胸。
……今夜は眠れそうにない。
しばらくしてバスは出発した。
車内は冷房が効いていて心地よい。もし寒すぎたら備え付けの毛布を被ればいい。
僕は3列あるうちの真ん中なのであまり景色を楽しめないから文庫本などを読んでいたが、前触れもなくいきなり車内灯が消された。時刻は午後9時。もう寝ろってか。
暗闇に慣れ始めたころ、ふと見ると上段から美味しそうな、いや健康そうな女性のナマ脚がぶらさがっている。
ベトナム娘め! なんとけしからんことだ。 アメリカが勝てないわけだ。
目の前に決して届かないニンジンをぶら下げられた僕は、ただただ窓の外の自由な世界に妄念を委ねることしかできなかった。
あ、脚が引っ込んだ。
と思ったら、僕の真横に彼女の掛け布団が落ちてきた。
あの娘のフトン……。オフトゥン……。Often….
田山花袋よろしく匂いを嗅ぐ暇もなく、彼女の顔が上から僕を覗きこんだ。
そんな目でこの汚れきった私めを見つめないでください。
僕は精一杯紳士的に「ヒア」とか何とかいって彼女に渡す。
無言のまま彼女の手が布団をひっつかんで消えた。まあそんなものだろう。仕方がないので布団にくるまってぼんやりしているうちに、僕はバスの振動による心地よいリズムの虜となって眠りに落ちた。
5月18日早朝、閑散とした停留所らしきところに我々のバスは着いた。
途中休憩含め、10時間ほどの移動だった。
外に出てみると、むっとする熱帯の空気。遠くの植物群も、ヤシっぽい熱帯のものばかり。
迎えの車に乗り込む人、タクシーに乗り込む人、どこかへ歩き出す人、呆然と立ち尽くす僕。あのベトナム娘もどこかへ行ってしまった。
しっかし全然街らしきものがない。砂っぽい大地と汚い掘っ立て小屋が一軒あるのみ。河口じゃないのか、ここは。
そこらへんの親切ジジイたちに道を聞く。
どうやらここから市街地までは五キロほど離れているらしい。
僕はひとり一本道を歩き出した。
が、すぐに挫けて寄ってきたタクシーに乗った。珍しくおばちゃん運転手。
「何してんのアンタ! 河口までは遠いよ!」
「まじで」
「十元でいいよ!」
「最高」
ひたすらまっすぐ続く、幅の広い道路。
右手にはベトナムのトンキン湾まで続く紅河が流れている。
この河を境に、こちらは中国、向こう岸はベトナムなのだ。
ヤシの街路樹を横目にタクシーはひた走り、僕は河口市の中心地に降ろされた。
国境の街といえど、想像していた辺鄙な田舎町というイメージとは違い、背の高いビルに様々な看板が並んでいる。道は相変わらず汚いが。
とにかく街の全容をつかむために僕は歩く。早朝ということでほとんどの店は閉まっていたが、ちょっと路地に入ったところの食堂街では開店している店もあり、日焼けした地元民たちがハフハフと粥を啜っている。なんと旨そうな匂いだろう。
しばらく歩くと、突然建物の影から、三角の悪趣味な国境ゲートが見えた。
(ベトナム側からの眺め)
まさに Produced by 共産党といった趣である。
ゲートは商店街から100メートルも離れていなかった。普通なら国境って、もっと市街から離れたところにあるんじゃないのか。こんなに地域密着型でいいのか?
なんだかんだで時間をつぶすことができた。
そろそろ宿屋も営業を開始するころだろう。幸いにも付近には探すまでもなく「旅社」や「招待所」の看板が見えている。(「酒店」や「飯店」というスタンダードなホテルとは違い、格安で泊まれる簡易宿泊所のことである。外国人が泊まれるかどうかは地域による。)
僕は商店街の路地裏にまわり、とある招待所の薄暗い入り口に入った。
受付のばあさんに話を聞くと、1泊30元だという。
破格中の破格! 狂犬の中の狂犬!
即決しそうになるのをこらえ、一度部屋を見せてもらうよう頼んだあたり、僕も着実に旅人レベルが上がっているということだろう。
2階に上がり、ばあさんは一番手前のボロボロの扉をガチャガチャやって開け、中を見るよう僕にうながした。
四畳半ほどの空間に、まず目に入ったのは朽ちかけたベッド。反対側に小さな机、その上にブラウン管のテレビ。そして熱帯の生命線ともいえる扇風機(クモの巣つき)。黒く汚れた窓から日の光が降り注ぐ。
上出来である。約500円ならば文句などあるはずもない。
続いてばあさんは部屋の隅にあるドアを開けた。
人ひとりがやっとしゃがめるくらいの広さ。
汚れがこびりついた床にポッカリと開いた穴。
蛇口とタライ。
風呂兼便所兼洗面所だった。
洗面や排泄を一つの「仕事」としてとらえたのはこの時がはじめてだった。
宿を変えるなら今のうちだが……。
考えているうちにばあさんはカギを置いてスタスタと階下へ降りて行ってしまった。
またひとつ、僕は文明の皮を脱ぎ捨てていく。